真田丸の方広寺鐘銘事件は大坂の陣のきっかけだった?「君の名は。」ならぬ「忌みの名は。」の顛末まとめ
方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)というものをご存知でしょうか。大坂の陣のきっかけになったといわれる事件で、事の始まりは鐘に刻まれた「国家安康」の文字。徳川家康にとって、自分の名前が2つに割れたように見えるこの文字は縁起が悪く、「呪われている」といったイチャモンを付けたんだそうです。詳しくはこの記事でまとめているので、気になる方は読んでみてください。
秀吉の死後。
慶長4年(1599年)、秀頼が大坂城に入ると5大老も大坂にやってきます。
大坂に屋敷のなかった徳川家康は且元の屋敷に宿泊しました。
このころから家康との付き合いが始まります。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは石田三成方に味方します。
その後も且元は豊臣家のために働いたのでした。
幼い秀頼の代理として豊臣家の経営に携わります。
豊臣家の進める寺社復興事業に取り組み、豊臣家の直轄地の管理を行いました。
しかし、方広寺問題が且元と豊臣家を追い込むことになります。
慶長19年(1614年)。秀頼が再建していた方広寺大仏殿がほぼ完成しました。
普請の責任者は且元でした。
出典: entameewsn.com
歴史上、最大のイチャモン??
方広寺鐘銘事件は大いにこじれ、慶長19年7月26日、徳川家康は京都の板倉重昌・片桐且元に上棟、大仏開眼供養、堂供養のすべてを延期するよう要請し、2人は受け入れた。豊臣方は鐘銘問題を解決するため、且元を駿府の家康のもとに派遣した。
ところが、家康は且元に会おうとせず、応対したのは側近の本多正純と崇伝の2人であった。且元は正純と崇伝に対し、豊臣秀頼が家康・秀忠に反逆の意思がない起請文を提出する旨を告げた。正純と崇伝から報告を受けた家康は提案を拒否し、解決策を示さなかった。
同年9月18日、且元は①秀頼が大坂を離れ、江戸に参勤すること、②秀頼の母・淀殿が大坂を離れ、人質として江戸に詰めること、③以上のいずれかの条件が承諾できない場合は、秀頼が大坂城を退去し国替えをすること、の三つの条件を提示し、解決を図ろうとした。
出典: shuchi.php.co.jp
しかし、これより以前、淀殿が派遣した大蔵卿が駿府で家康と面会した際、家康は豊臣家に異心がないことは承知しているとして、淀殿に安心するようお伝え願いたいと言っていた。家康の心中を知っていた淀殿らは、且元が豊臣家を裏切ったと激怒した。豊臣家中の強硬派の怒りも収まらず、ついに且元を討伐するとの動きになった。
一連の動きは、家康が自らのメンツを守るため、天海や崇伝そして且元らを活用し、自らが手を汚すことなく、豊臣家を臣従させようとしたと考えられる。
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同年10月1日、身の危険を感じた且元は大坂城を退去し、居城である摂津茨木城に立て籠もり、大坂の軍勢に備えて防備を固めた。且元の真意は、徳川家と豊臣家の融和を図ることにあったが、実際には家康に翻弄され、思いがけず豊臣家を去り、徳川方に与せざるを得なくなったというのが真相であろう。
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出典: www.jprime.jp
かわいそうな片桐。。。
片桐且元もあまりに人が良すぎるし絶対ヒドイ目に合うでしょ……これ……。
— Jakalope@WM追加シナリオ製作中 (@0430Jakalope) 2016.12.24 21:34
『真田丸』では片桐且元の口からこの顛末が語られた。いやもう且元が不憫でなあ……ちゃんと草案見せたじゃん、その時はOK出たじゃん! というくだりは我が身のことかと泣くサラリーマンも多かったのではないかと。
出典: hon.bunshun.jp
#真田丸総選挙 そりゃあ有働アナによるナレ死から無事ご帰還なされた片桐且元さんが1番でしょう!という訳で。 片桐且元さんに1票です!
— 宵 戦国無双~真田丸~始めました。 (@yoi4117) 2016.12.25 00:40
片桐且元って前々回くらいにナレ死してなかったっけ?
— 佐倉蔡 (@sai_0211) December 24, 2016
記憶が正しければナレ死した人が生きて登場するの初の事例じゃない? #真田丸
片桐且元といい、大野治長といい、最後の最後にやらかしちゃう ┐(~_~;)┌ #真田丸
— たぁ~坊 日坂の向日葵 🌻🌻 (@catamaran31) December 24, 2016
方広寺 七条駅 豊国神社に隣接しています。秀吉が松永久秀の焼き討ちにより焼失した東大寺大仏に代わる大仏の造立を発願したのがきっかけです。最大時の敷地は現在の京都国博、三十三間堂にまで及びました。大坂の役の発端となった方広寺鐘銘事件でも有名です。
— 非公式太秦その@京都社寺案内bot (@sono_shrine) 2016.12.24 20:30
じゃあなぜこれまで徳川方が一方的にでっち上げたみたいに描かれていたのかというと、『駿府記』という史料を下敷きにしてたから。まあ、どっちにしろ徳川方の〈わかった上での言いがかり〉なのは一緒なんだけどね。『駿府記』では家康が金地院崇伝と板倉重昌を呼んで「この言葉って不吉じゃね?」と告げたことになっている。が、家康の発案というより誰かが入れ知恵したような書かれ方になっているらしい。
出典: hon.bunshun.jp
方広寺・京の大仏:東大寺大仏にならい秀吉が造営。徳川家と豊臣家の対立である大阪の陣の引き金となった鐘銘事件で有名な方広寺に現存した。また、江戸期では三大大仏として知られていたものの、何度も焼失し、現在は大仏自体が残っていない。 pic.twitter.com/h0yFwJgru9
— 仏像紹介BOT (@butsuzobot) December 23, 2016
いずれにせよ、この事件を契機に、歴史は動いて「大坂の陣」「豊臣滅亡」に繋がっていくのです。
そして豊臣家はついえるのでした。
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