オッペンハイマー(映画)

オッペンハイマー(映画)

『オッペンハイマー』とは、「原爆の父」と呼ばれた物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた2023年公開の映画である。第二次世界大戦中にマンハッタン計画の監督として原爆の作成を主導する姿や、冷戦時の赤狩りに巻き込まれ、最終的に彼自身が失脚するに至るまでの様子が描かれている。IMAXカメラで撮影された高解析度の映像に、緊張感のある迫り来るようなサウンドが加わっており、天才科学者の頭脳と心を五感で感じることが出来る作品である。

オッペンハイマー(映画)のレビュー・評価・感想

オッペンハイマー(映画)
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原爆の父、オッペンハイマーの人物像を知る

2023年に本国で公開され、日本では2024年3月に公開された『オッペンハイマー』。監督は『インセプション』や『インターステラー』で知られるクリストファー・ノーラン監督。

『オッペンハイマー』は日本に投下された原爆を作った人物を題材にしており、オッペンハイマーが原爆を開発し、日本へ投下された後どんなことがあったのかなど詳細に描いた映画である。日本に多大なる被害を及ぼし、悲惨な結果を招いた原爆がメインに扱われることから、日本が侮辱されたりしていないかと少し不安な気持ちを抱きながら見ることに。
しかし、結果として「見てよかった」と思う作品であった。

オッペンハイマーは原爆を開発したが、日本に投下されて以降の人生は罪悪感にさいなまれ辛そうな様子であった。
「科学者は開発するだけで使用について意見できない」という言葉はそのままで、使用することについてオッペンハイマーが懸念を述べても全く意味をなさなかった。
そのため作り出したこと自体間違っていたのではと、ものすごく後悔している描写があった。長官が科学者に責任はないと言っているが、殺人者の親が「生んだのは私だから責任を感じる」のと同じだと思った。

原爆を開発した後に水爆を開発するように指示されて背いたオッペンハイマーは、人間の心を持った善良な人だと思う。与えられたものを正しく使えるよう、物事を考えられるような人間でありたいと思う映画だった。
そしてこの映画を見るにあたって、第2次世界大戦の知識は必要不可欠。見る前に復習や、予習を行うことでより映画を理解できる。

オッペンハイマー(映画)
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映画館で見る『オッペンハイマー』

3月29日に原子爆弾の被爆国である日本の劇場で公開された『オッペンハイマー』。観にいかれましたでしょうか。
昨年公開された『バービー』と共に、日本での公開が原子爆弾を取り扱っているため懸念されていましたが、事なきを得て公開日を迎えることができました。内容も反原子爆弾となっているので安心して観ることができます。

今作品は特に爆発音などによる音で耳を支配します。ぜひ、劇場の大音響に耳を委ねてみてください。
さらに登場人物が多く、展開は早く、時系列の複雑な交差があります。なのでそれらの知識を頭に入れておくとすんなりと内容が入ってきやすく、自分なりの『オッペンハイマー』を作り上げられると思います。

ここから先はあらすじ程度となっております。
原子爆弾の父とされるオッペンハイマーが如何にして大量殺戮兵器である原子爆弾を作るに至り、作り上げたその後の葛藤が複雑に人間らしく描かれています。
アインシュタインが発見した一般相対性理論。それにより量子力学という新たな境地を開く学問が生まれます。量子力学ではアインシュタインが説いている物理の法則が全く通用しませんが、「そんなことはあり得るはずがない」と彼は量子力学を理解しようとはしません、または理解ができません。

若き頃のオッペンハイマーは量子力学が進んでいるシュレーディンガー、ブェルナー・ハイゼンベルクを産出したドイツへ自らの足を運び、量子力学の第一人者であるハイゼンブルクから学びを受けます。
その頃、ドイツではヒトラー率いるナチスが独裁政権を築き上げ、ユダヤ人を迫害しようとします。アインシュタインは恐れ、自らの身を案じアメリカに亡命します。
彼が去ったドイツではめきめきと技術が発達していき、ついにはハイゼンベルクを中心として、原子炉が作り上げられると彼は推測します。非道なナチスよりも原子爆弾を一刻も早く作り上げるために、彼はその旨をルーズベルト大統領に進言します。それにより、かの有名な原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画が始動します。
オッペンハイマーは計画のリーダーとなりプロジェクトを進行していき、トリニティー実験により原子爆弾は開発に至ります。彼が世界を救う大義名分のために発明した原子爆弾により掴んだのは、栄光か没落か。

オッペンハイマー(映画)
9

日本人にこそ観てほしい作品

日々当たり前に生活できていることに感謝。
『メメント』『ダークナイト』『インセプション』『TENET』を撮ってきた、クリストファー・ノーランらしい複雑な構成の映画。

3つの時間軸がバラバラに入り乱れているうえ、セリフ量と単語が膨大なのと各人物たちの関係性、歴史的背景を知っていた方がよりこの映画を理解できる。
しかも登場人物の会話がとても速いため、字幕を読んで考えている間にもう次の会話をしている。考える暇を与えない。

原爆ができていく過程は正直見ていて日本人としては苦しかった。
完成して、マンハッタン計画で初めて実験を行う。実験までのカウントダウンほどの緊張はなかった。カウントダウンの映像と同時に、その緊張を表すかのような音が、映画館の中で響き渡る。大きな爆発音と、実験に成功して喜ぶアメリカ人たち。正直、泣きそうになった。これが落とされたんだと。

マンハッタン計画のシーンは、ノーランからの「核の恐ろしさを改めて多くの人に知ってほしい」というメッセージにも見てとれた。
その後はオッペンハイマーの苦悩と、ルイス・ストローズの陰謀が長い時間かけて描かれてゆく。オッペンハイマーが実際に放った言葉、「我々は死なり、世界の破壊者なり」。この言葉が全てを表しているように思える。ナチスより先につくらなければならなかったのかもしれない。

しかしこれがどれだけ取り返しのつかないパンドラの箱だったのか、歴史を知る私たちにとっては、やはりなくなってほしいと思うばかり。
実際のオッペンハイマーが映画のように苦悩していたかはわからないが、アメリカという国でつくられた映画の中で、その時の出来事を少なくとも「過ち」として描いてくれていたように感じる。それがアメリカでヒットして第96回アカデミー賞で7部門受賞したことは、今世界で起きている戦争に対するメッセージとして届いてほしいと思う。