日本の夜と霧

日本の夜と霧

『日本の夜と霧』は、大島渚監督による1960年に公開された日本映画である。脚本は大島渚と石堂淑朗。出演は津川雅彦、渡辺文雄、桑野みゆき他。大島は映画『夜と霧』(1956年)に影響を受け本作を制作した。
舞台は安保闘争で知り合った新聞記者の野沢晴明と女子学生の原田玲子の結婚式会場。そこへ野沢の旧友である宅見、逮捕状の出ている太田が乱入したことで、昭和25年からの学生運動の陰で起こった様々な事件の真相が暴露されることとなる。闘争を捨てて家庭の幸福へ逃げ込むか否かを問うこの2人の乱入により、結婚式会場は世代や政治的立場を超えた討論の場となっていく。
カット割りのない長回しの多用や、回想シーンへのダイナミックな切り替わりなど多様で個性的な演出が随所になされている。
安保闘争をテーマにした、映画全編を通して過激な政治論争が展開される作品だが、公開からわずか4日後に映画会社が不入りを利用に大島渚監督に無断で上映を打ち切り、監督が退社するという事件が起きた。公開4日目に17歳の右翼少年による浅沼稲次郎暗殺事件が起きたのも原因と言われている。

日本の夜と霧のレビュー・評価・感想

日本の夜と霧
8

日本現代政治の暗部を革新的な映画手法で抉り出した社会派映画の傑作『日本の夜と霧』

『日本の夜と霧』は1960年に公開された日本映画で、監督は大島渚。本作は、主題(安保協定への1950年代と1960年の全学連の反対運動)と社会運動の政治的な記憶と主観的なダイナミクスの両方の点できわめて政治的な映画です。
『日本の夜と霧』を評する論者は形式的な革新性、とりわけ演劇的なそれを特筆しています。マウリーン・ツリムは、溝口健二を思い出させる革新的な長回しに加えて、新しい映画的な演劇性について議論します。空間的な制約性、照明、色彩、人の所作、最も重要なのはせりふ回し、また人物たちの対峙はカメラの動きとショットによって順序づけられていること、そうであるが故に、「映画は演劇性を再定義するための手段となる」としています。
ダナ・ポランは本作を、「スクリーンと観客の間の過程として」政治的意味を露わにする大島作品群の一部であると見なしています。たとえば、10分間のオープニングショットの間に、カメラの動きと結婚式の対称性は、外部の霧によって脅かされる政治的な安定性を示唆し、また、招かれざる客を紹介するトラッキングショットは画面の構図とイデオロギー的な確実性の両方を不確定なものにしています。政治的過程を示唆する語り以上に、大島の映画技巧は、映画的形式と登場人物の孕む政治的および個人的な含意を観客が熟考することを求めます。