日本の夜と霧

日本の夜と霧のレビュー・評価・感想

New Review
日本の夜と霧
8

日本現代政治の暗部を革新的な映画手法で抉り出した社会派映画の傑作『日本の夜と霧』

『日本の夜と霧』は1960年に公開された日本映画で、監督は大島渚。本作は、主題(安保協定への1950年代と1960年の全学連の反対運動)と社会運動の政治的な記憶と主観的なダイナミクスの両方の点できわめて政治的な映画です。
『日本の夜と霧』を評する論者は形式的な革新性、とりわけ演劇的なそれを特筆しています。マウリーン・ツリムは、溝口健二を思い出させる革新的な長回しに加えて、新しい映画的な演劇性について議論します。空間的な制約性、照明、色彩、人の所作、最も重要なのはせりふ回し、また人物たちの対峙はカメラの動きとショットによって順序づけられていること、そうであるが故に、「映画は演劇性を再定義するための手段となる」としています。
ダナ・ポランは本作を、「スクリーンと観客の間の過程として」政治的意味を露わにする大島作品群の一部であると見なしています。たとえば、10分間のオープニングショットの間に、カメラの動きと結婚式の対称性は、外部の霧によって脅かされる政治的な安定性を示唆し、また、招かれざる客を紹介するトラッキングショットは画面の構図とイデオロギー的な確実性の両方を不確定なものにしています。政治的過程を示唆する語り以上に、大島の映画技巧は、映画的形式と登場人物の孕む政治的および個人的な含意を観客が熟考することを求めます。