吉田拓郎

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吉田拓郎のレビュー・評価・感想

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吉田拓郎
10

フォークに留まらない大御所

吉田拓郎は今さら説明の要らない大御所のミュージシャンです。その出発点はいわゆるフォークソングで、デビューして数年後に「結婚しようよ」が大ヒット。その頃のニックネームは「フォークの貴公子」でした。しかし、拓郎はその枠に留まらず、その数年後には演歌の若き大スターの森進一に「襟裳岬」を作曲。この曲はビッグヒットしてレコード大賞を取りました。その後も由紀さおり、キャンディーズ、太田裕美、石野真子、かまやつひろし、梓みちよ等々に曲を提供してヒットさせると同時に、自らもアルバムを次々とリリースしていきました。さらに五十代になってからはKinKi Kidsとともに「ラブラブ愛してる」という番組の司会を務め、その縁でKinKi Kidsのために「全部抱きしめて」を提供してビッグヒットとなりました。彼らにギターを教えたことにより、KinKi Kidsの2人は作曲なども行うようになり、「愛のカタマリ」をヒットさせたのも印象的でした。拓郎の魅力は、いわゆる「拓郎節」と言われる独特な旋律にあります。それは哀愁を感じさせ、彼独特のサウンドとなって多くのファンを獲得してきました。さらに、拓郎は字余りの歌詞を曲に乗せるということを初期から行い、独特な世界を作ってきたのです。これも彼の大きな特徴であり、個性だと言えるでしょう。また、いわゆるコンサートツアーを最初に行ったのが拓郎なのです。そういう意味でも彼は開拓者だったと言えます。

吉田拓郎
10

大いなる人

日本の偉大なアーティストと言えば一番に出てくるのが吉田拓郎である。
1970年代初頭に現れ、日本の音楽シーンを変えて行った。フォークからニューミュージック、Jポップと名前が変わっても色褪せない歌の力を感じる事ができる。
数多くのミュージシャンが彼の曲に影響を受け現在に至っている。
70年・80年代の若者が拓郎の曲をギターで熱中して弾いていた。かく言う私もその一人。(それ以降もいっぱいいるだろうが)
彼が初めて日本全国のコンサートツアーを始めたとされているのも功績の一つだ。

中津川フォークジャンボリーという1971年の音楽フェスではあの「人間なんて」をPAの故障の中何時間も歌い続けた伝説もあり、そこから存在感を増すようになったようだ。
つま恋・篠島のオールナイトコンサートも大成功し、ファンの中では語り継がれている。

レコード会社も5社に渡り活躍し、フォーライフレコードでは社長にも就任した。3回結婚もしている。
85年のつま恋でコンサートは最後と言いながらすぐに復活したり、昔の歌はもう歌わないと言いながら歌ったりと
そんな人間臭さも吉田拓郎だ。
大御所と言われながらも決して驕らず控えめに生きている姿もカッコいい。
流れゆく時代の中で何度も彼の曲がカバー・リメイクされたりして脚光を浴びている。はまさに大いなる人と言えよう。