西崎義展

西崎義展

西崎 義展(にしざき よしのぶ)とは、日本のプロデューサー、アニメーション監督である。本名は西崎弘文。1934年12月18日、東京府東京市小石川区に不振企業の再建屋として知られた実業家・西崎正の長男として生まれた。祖父は薬学者の西崎弘太郎、母方の祖父は予備海軍少将の水谷叔彦、叔母は日本舞踊西崎流家元の初代西崎緑という家系である。
私立武蔵高等学校を卒業後、文学座の研究生を経て、4年間の浪人生活後に日本大学芸術学部演劇学科へ進んだ。1958年頃からジャズ喫茶の司会や解説で生計を立て、音楽マネージャーやプロデューサーとして活動を開始する。1963年にオフィス・アカデミーを設立し、多くのショーを製作したほか、1968年からは西ヨーロッパへ渡り、ロードマネージャーとして舞台制作に携わった。
1970年の帰国後、手塚治虫のマネージャーに就任してアニメ業界に関わるようになり、虫プロ商事の社長代理として経営改革を図るも失敗に終わる。1972年には手塚原作のテレビアニメ『海のトリトン』で初プロデュースを手がけ、新たにオフィス・アカデミーを再設立した。その後、『ワンサくん』などのアニメ化権を取得し、1974年10月にテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の放送を開始する。1977年に同作を再編集した劇場版がヒットし、翌年の続編『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が配給収入21億円の大ヒットを記録したことで、ヤマトブームを巻き起こし巨万の富を築いた。この時期には角川春樹らとともに独立プロデューサーとして脚光を浴び、本物の戦艦大和の探索計画を指揮するなど精力的に活動した。
しかし、共同経営していたシーホース社の経営危機に伴い巨額の資金繰りに追われ、1982年にオフィス・アカデミーを整理した後はウエスト・ケープ・コーポレーションへ活動拠点を移した。その後発表した『オーディーン 光子帆船スターライト』や実写映画『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』が相次いで興行的に失敗し、資金難に陥る。1990年代には著作権を担保に資金調達を試みるも、1997年に自己破産した。さらに同年から1999年にかけて覚醒剤取締法違反や銃刀法違反で逮捕され、懲役5年6か月の実刑判決が確定して服役した。服役中には『宇宙戦艦ヤマト』の著作者をめぐり漫画家の松本零士と裁判で争い、勝訴および和解に至っている。出所後の2009年にはアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』で製作・監督を務め、再起を果たした。
2010年11月7日、小笠原村父島の海で、停泊中の所有船「YAMATO」から転落し死亡した。没後に公開された実写映画やアニメシリーズにおいても、原作者としてクレジットされ続けている。

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