天才ピアニストの数奇な運命が、唯一の親友の回顧録として語られる一大叙事詩
この珠玉の名作「海の上のピアニスト」は、「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、一人芝居として有名なアレッサンドロ・バリッコの原作をもとに映画化し、私のように心から映画を愛する者に、また一つ忘れ難い感動を与えてくれた作品です。
船上で生まれ育ち、生涯一度も船を降りなかった天才ピアニストの数奇な運命が、唯一の親友の回顧録として語られる一大叙事詩となっています。
この映画の冒頭の客船に迫る自由の女神を目前にして、移民たちが、「アメリカだ!」と叫び、狂喜するシーンを観た時、「この映画は絶対好きになるに違いない」と確信しました。
このシーンこそが、このように”素晴らしい寓話”への入り口なんだと——-。
そして、今は落ちぶれたトランペット奏者のマックス(プルート・テイラー・ヴィンス)が、楽器屋の主人に話して聞かせるという構成で、この感動の物語は展開していきます。
生年に因んで1900(ナインティーン・ハンドレッド)と名付けられた子供は、船倉で育つ事になります。
ピアノとの出会いは、8歳の時で、一等客室に忍び込んで、ダンスホールのグランドピアノを弾きこなし、船の人々を驚かせたりします。
そして、成長したナインティーン・ハンドレッド(ティム・ロス)は、船に乗り合わせた人々が語る、陸の世界の風景や彼らの表情に浮かぶ生き様といったものに、インスピレーションを得て、その”夢や憧憬”を鍵盤に託していくのです——-。
その余りにピュアで、美しい音楽は、無垢なナインティーン・ハンドレッド自身の姿そのものなのだと思うのです。
ジャズの創始者であるジェリー・ロール・モートンの挑戦を受けて弾く、ピアノの力強さも実に聞き応えがあり、ユーモラスな雰囲気も手伝って、忘れられない名場面になったと心から思います。
陸から見える海の美しさを語り、人生をやり直すべくアメリカへと旅立った男との出会い、最初で最後の録音演奏中に、窓越しに見かけた美しい少女へのほのかな恋心。
そして、彼は船を降りる決意を固めていくのです。
しかし、果てしなく広がる摩天楼を前にして、彼は船へと引き返していくのです——-。
果たして、自分の世界に閉じこもる事を選んだ彼は、我々が共感すべくもない臆病な、人生の敗北者なのか?
いや、それは違うと思うのです。我々は彼が現代の外界が抱える”不安や毒”に触れてしまう事を望まないのです。
寓話は寓話として、美しいまま幕を閉じる事を切に臨むのです。
私は、マックスとナインティーン・ハンドレッドとの出会い、そして別れのシーンが大好きで、嵐の夜、激しく揺れる船内で、ストッパーを外したピアノの前にマックスと並んで座り、くるりくるりと回るピアノを奏でるナインティーン・ハンドレッド——-。
何ともファンタジックで、夢のような時間に酔いしれてしまいました。
そして、爆発前の船を降りて行く、マックスを見送る最後の瞬間、名残惜しそうに一度、二度と声を掛けるナインティーン・ハンドレッド。
彼のどこか弱い人間臭さを感じて、目頭が熱くなるのを禁じ得ませんでした。
とにかく、伝説のピアニスト、ナインティーン・ハンドレッドを演じたティム・ロスが、一世一代の名演技だったと思います。
穏かな表情の奥に、”先行きの見えない人生への不安”を見え隠れさせて、見事というしかありません。
そして、そんなナインティーン・ハンドレッドの切ない心情を映し出す、エンニオ・モリコーネのオリジナル・スコアの素晴らしさ。
一度きりの瞬間、瞬間を捉え、二度目はないという音楽は、様々な表情を見せ、たっぷりと感動の余韻に私を浸らせてくれました。
そして、「いい物語があって、それを語る人がいるかぎり、人生は捨てたもんじゃない」というナレーションは、そっくりそのままジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画に対する取り組み方を表していると思います。
感動のツボを押さえた語り口のうまさは、もはや名人芸に達していて、いい物語を聞かせてあげたいというトルナーレ監督の、”温かく優しい思い”で溢れていて、楽器屋の店主が、マックスに大事なトランペットを返してやるラストの人情劇も、とても心が温まる思いで、名画を観終えた後の感動が、私の心の中でいつまでも爽やかな余韻として残り続けたのです。