機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ / Mobile Suit Gundam: Hathaway's Flash

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ / Mobile Suit Gundam: Hathaway's Flash

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』とは、反地球連邦を掲げるテロリストのハサウェイ・ノア、地球連邦の軍人ケネス・スレッグ、謎の美少女ギギ・アンダルシアの運命が交錯し擦れ違っていく様を描いた、2021年公開のアニメ映画。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のストーリーに連なる続編的立ち位置であり、『機動戦士ガンダム』シリーズの生みの親、富野由悠季の小説を元に映像化。同シリーズ40周年記念作品として製作された3部作の第1作目で、美しい映像美と壮大な音楽、大迫力の戦闘シーンが魅力の映画作品である。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ / Mobile Suit Gundam: Hathaway's Flashのレビュー・評価・感想

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ / Mobile Suit Gundam: Hathaway's Flash
8

メッセージととるかプロパガンダととるかサブリミナルととるかそれっぽいだけととるか

岡田斗司夫などは「今更80年代完結の小説をアニメにする意味があるのか」と言っていたが、それなりの意味があったとすれば都市伝説的にささやかれるこれからの管理社会や新しい…生き方、人とのありかたを細かくて伝わらない表現で示していた部分はあった。
CGが綺麗だというレビューなどもYOUTUBEで散見されたが、サンライズはおそらく当の御大そのものが「CGは演技ができない」という理由で、デジタルツールの積極導入が立ち遅れたと聞いている。結果、殆んど全てのシーンがワイヤーフレームで作られた3Dモデルで、最早そのような「職人」の存在の無用と、金田氏や大張氏の様な人間の感性を発揮した作品でその技術を披露した事にもなり、庵野氏が「特撮を風化する文化として遺産として扱わなければならない」「諦念も近年の活躍に感じられる」と言った、かっての社長岡田斗司夫の言をここでも感じてしまう。
「人の作った作品」として見えるように努力をした、という事がこの作品の「絵面」の面であろう。しかし、そこに加えられた演出の点においては今回どうなのだろうか、と思う。
テロリストの暗躍とその本人の市井での見え方という対比を、極端な(しかも単純な意味での)明暗をもってして表現する事は冒険だったと思う。正直、画面が暗すぎて何が起こっているかわからない程にまで、その暗部というものを表現した事が、少なくとも個人的には特筆すべき点であろうと思う。文字でとらえる事の部分…、難解な設定や難解な台詞や難解な展開や、結果よくわからないけど雰囲気で重大な事が描かれていたような気がする、というのはよくある。しかしここまで「見た目」でその難解さを表現したのは、個人的にあまり見た事がない。既出小説で顛末がわかっているからとか、古い有名ジャンルが故に知らなくてもだいたいの全容はしれている原作なのでとか、岡田斗司夫も言っていた、そのような「新作」として押し出しの弱い部分があったが故に、暗い劇場にてより一層画面が暗くて見せられたものがなんだかわからんという手法が、作り手に作らせ手が許可を与えた要因だったのではあるまいか、とも思う。
そしてそうまでして「今更なもの」をもってして何を伝えるつもりだったのか、といえば。
個々の台詞で言うならば、まず世の中を上手くまわすには「絶対に間違わない独裁者が立てばいい」。しかしそれが可能であるならば「そんな人間が存在する時には人がみんな神様になっている時だよ」と希求する有用が実現したら、その時望んだもの既に無用となっている、という事である。
そして今現在ないからこそやる。人があきらめているから自分がやる。根本的に悪癖を為す者がいるのだからその存在をなくせばいい、という手法はやらない方がいい、というのがギギ・アンダルシアのハサウェイへの説得であり、「それなら教えてくれ。いったいどうすればいいんだ」という目の前の他人の幸せやその成就を目の前で見なければ気のすまない「かなしいテロリスト」がここにいる。
早い話このような未来提言と焦燥による正義行動は意味がない、というメッセージだったような気がする。細かいところで言えば富野由悠季らしいお上は、絶対的に何がなんでもだめ揃いでなければだめみたいな相変わらずの描写も見られたり、そこはその御大を外した状態で造った為にかっての「ガンダム」よりおそろしく「天才富野由悠季」の言葉がわかりやすいという利点もあった。
何故今更やるのか。
とらえ方次第だが、「今更やる事」にその本質があったのだろうように思える。
だからそれをメッセージととるか、プロパガンダととるか、サブリミナルととるか、都市伝説的に所詮二極化でもわかるように下っ端の不満を解消するのは、無能な下っ端でなく有能な「上の人」でしかなく、うまい事いくようにしようとする意志でとりあえず動いている以上、個人が悋気を起こして強引な正義をしなくても待てば良くなるのだからいらん事するなみたいなそれっぽいものを見せられたと思うのか。ハローバイバイの人の決め台詞の「信じるか信じないかはあなた次第です!」となってしまう…。
一言いえば済む話をえらい手間かけたな…とは思うが。正直新しいおもちゃが増えるのは「男の子」としては非常に嬉しい話。「ガンダムだからガンダムだろ!」とばかりにクシィーガンダムがガンダム顔になおされてしまう事を憂いていた身としては、「悪役ガンダムが主人公機だから」という命題が許可されたとしても『機動戦士ゼータガンダム』で早々に頓挫した。ガンダムだからって常にガンダムの姿にしなけれなならない訳ではない、が事情とはいえ表現された事は嬉しかった…。
所詮エンタメとしての利点とおもちゃで遊びたい僕らはなにがなんでも評価して守らなければならない、という点は否めないし、否定したくないし、価値はある。
そんな一側面は普遍的価値としてこの作品群にはまとわりつく。それが付加価値である強味である作品なんだが…。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ / Mobile Suit Gundam: Hathaway's Flash
9

ブライト・ノアの息子は連邦の敵!

2019年に40周年を迎えた『機動戦士ガンダム』シリーズ。その新作映画『閃光のハサウェイ』が、2021年6月に公開となりました。本作は1989年に角川文庫より刊行された同名小説の映像化であり、待ち望んだファンも多い中、その衝撃的なあらすじが話題を呼んでいます。
主人公の名は『ハサウェイ・ノア』と言い、シリーズの一作目である『機動戦士ガンダム』に登場する『アムロ・レイ』と関係の深い『ブライト・ノア』の息子にあたります。しかしハサウェイは、ブライトの所属する地球連邦軍に対し『マフティー』と名乗る反政府組織のリーダーとして、テロ行為を強行。ハサウェイとブライトは、親子でありながら命を懸けて敵対する立場になってしまうのです。
機動戦士ガンダムシリーズの顔ともいえるアムロ・レイと長きにわたり関係のあったブライト・ノア、その息子が地球連邦と戦うというストーリーに多くのシリーズファンが衝撃を受けた本作。ハサウェイは何故、連邦と戦う道を選んだのか。親子の関係はどうなってしまうのか。さらにはハサウェイの目の前に現れた、なぜか「あの子」に似た少女の正体とは。
本作はシリーズファンに向けている為、始めてこの作品を見るという方には難しい内容です。しかしそれ故に内容が濃く、シリーズを通じた物語に深く関わっているのが本作最大の魅力であると言えます。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ / Mobile Suit Gundam: Hathaway's Flash
8

ガンダムファン待望の映画

今回ご紹介するのはガンダムの「閃光のハサウェイ」です。
この作品は全3部作で構成されており、同じくガンダムの映画作品である「逆襲のシャア」続編となります。
実はこの作品は映像化されることは無いと公式で明言されていましたが、ファンの強い希望で映像化される運びとなりました。
あらすじは、「逆襲のシャア」で初登場したハサウェイ・ノアが主人公で、「マフティー」という組織が物語に大きく関わってきます。
「マフティー」の目的は腐った地球連邦を正し、地球から人々を移民させることです。これを実現させるため、ハサウェイは「マフティー・ナビーユ・エリン」を名乗り、「マフティー」のリーダーとして活躍します。
この「地球連邦を正し、地球移民をさせる」という目的は元々、ネオジオン総帥シャア・アズナブルが掲げていたもので、ハサウェイは「逆襲のシャア」の時にシャアと関わりがあり、その影響もあり、「マフティー」の目的にもなっています。
また、映像美にも要注目です!
ガンダムの映像作品は年々進化をしており、特に「閃光のハサウェイ」に関してはそれが著しく、特にモビルスーツ同士の戦闘シーンでは圧倒されること間違いなしです。
ガンダムを少しでも知っている人なら間違いなく楽しめる作品となっています!