根底にあるのは現代人への警鐘
この映画の根底にあるのは、モノや情報に溢れ古いものを置き去りにしてきた現代人への警鐘ではないかと思います。それを新海監督は、都会に住む男の子と、田舎の神社の跡取り娘の入れ替わり、という分かりやすい形で表現しています。そしてそれは時々出てくるおばあさんのが口にする結びという言葉や、カタワレドキ、そして山頂のご神体。全て現代人が忘れかけているものが、物語の重要な場面でキーとなってくることで更に明確なものになります。
人間は生まれて死ぬまでに色々なことを忘れて生きてきます。そして世代間でも受け継がれずに忘れ去られていくものも多いでしょう。しかしその中にも大事な物があるのではないかという事を、三葉と瀧が入れ替わって時間の経過とともに忘れていくという設定で代弁しています。
三葉は見えないチカラで危機に気付かされ町民の命を救うために奔走します。これは誰かが気づいて動くことで人間が自然の脅威から逃げられるとゆうことの表現。そして最も重要なのが運命です。日本には古くから、将来結ばれる人とは小指で赤い糸で繋がっているという言い伝えがあります。
この映画の中では組み紐とゆうアイテムを使ってこれを想起させます。運命は見えるものではないし証明も出来ません。でも運命などないと抗って生きてみたところでそれも運命だったのかもしれません。つまりは、人の力では到底及ばない物もあるとゆことがラスト数分で一気に叩きつけられます。人の生死も運命。私達はそれを受け入れ命ある限りは精一杯生きるしかない。最後の青空からはそんなメッセージを受取ました。