「ボヘミアンラプソディー」から見る仲間のありがたさ
「ボヘミアンラプソディー」はフレディ・マーキュリーの人生を振り返っていく映画です。彼の何者でもない時から、スーパースターになり、エイズで死ぬまでの人生を振り返っていく内容となっています。
彼の音楽への情熱や、音楽の作り方、また純粋にクイーンの成り上がっていくまでを見て楽しむというのもありですが、私が特に面白いと思ったのは「仲間」です。
やはりというべきか、成り上がっていき成功する過程で、フレディを利用し、自分だけ利益を得ようとする者が現れます。そして彼自身成功する過程で「さみしさ」というべきものが現れます。このさみしさとはつまりゲイである自分を公表できない、あるいは自分自身うまく消化できないことなどからきているのでしょう。そしてそのさみしさに付け込まれる形で利用されてしまうのです。その時フレディは苦楽を共にしたクイーンのメンバー、かつての恋人に背を向けてしまいます。しかも「お前たちはいらない!」といった激しいものです。何とか彼は利用されていることに気づきそこから脱出し、仲間のところに戻ることができます。ここで仲間たちもフレディに対し怒り、クイーンの再結成に対し厳しい条件を付けることもできたと思います。しかし彼らは暖かくフレディを迎え入れるのです。映画ではさらっと流していましたがこれはかなり難しいことなのではないのでしょうか。特に彼らの場合は巨額なお金も絡みます。しかし仲間たちは許し、迎え入れるのです。その時のシーンはなかなかの見ごたえです。
以上のようにボヘミアンラプソディーはクイーンの歴史を振り返るだけでなく、仲間の大切さ、ありがたさを教えてくれる良い映画です。しかし世代によってはクイーンを全く知らない人たちもいると思いますので、評価として8とさせていただきました。