チェリーという罪について。
スピッツの凄さについて考えてみた。おそらく、これを読んでくれている方で『チェリー』を知らない人はいないと思います。では、『チェリー』という曲のいったい何がこれほど多くの人の心を惹きつけるのでしょうか?よく言われる言葉を遣えば、曲調があまりにもポップでキャッチ―なんだと思います。それとは対照的に歌詞はまさしく失恋ソングの定番的な内容になっています。スピッツを聞いているといつも思うのは、BGMに最も適した音楽だということです。無理やり入ってこない。心に侵入しないわけです。しかし、歌詞をあらためて読むとものすごく残酷で、人を傷つけるような表現が多い。小悪魔が何度も顔を出します。チェリーでいうと、Cメロの『どんなに歩いてもたどり着けない、心の雪で濡れた頬。悪魔の振りして切り裂いた歌を春の風に舞う花びらにかえて』の部分。最終的にこの歌の主人公はこう歌っています。『いつかまたこの場所で君とめぐりあいたい』結局、元カノのことをいつまでも忘れられない未練タラタラの男子の気持ちを歌っているだけに過ぎないのです。恋愛だけでなく、すべての物事には決して綺麗な終わりなどないのだとないのだと言われてるような気がします。チェリーとは、チェリーボーイ(童貞)のことを指しているのかどうかはよく話題になりますが、僕にもわかりません。