魔女の宅急便 / 魔女宅 / Kiki's Delivery Service

魔女の宅急便 / 魔女宅 / Kiki's Delivery Service

『魔女の宅急便』はスタジオジブリで製作されたアニメーション映画である。プロデューサー・脚本・監督は宮崎駿、音楽は久石譲によって手掛けられ、1989年に公開された。原作は作家・角野栄子による児童書「魔女の宅急便」で、宮崎駿が手掛ける長編映画としては初の他者の原作による作品となっている。主題歌には松任谷由実の楽曲「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」が使用された。
原作が持つ特徴の一つである“童話ならではのファンタジー性”を抑えて制作された本作品は現実味あふれた作風となっており、田舎から都会へ出た少女が才能を活かし独り立ちしていく姿や、思春期を迎えた少女の感情の機微などが強調されて描かれている。
主人公の少女キキは13歳、魔女見習いである。魔女として生きていくために、「13歳の満月の夜に旅立ち、よその町で1年間の修行をしなければならない」という古いしきたりに従い、魔女である母・民俗学者である普通の人間の父のもとを離れ、相棒の黒猫ジジと共に修行の旅に出る物語である。

go-1113419597724563410471のレビュー・評価・感想

魔女の宅急便 / 魔女宅 / Kiki's Delivery Service
10

元気な力で空を飛ぶひとりの女の子の成長物語

魔女と宅急便にどのような関係があるのか、見た事のない方には分からないかもしれません。しかし、そこで繰り広げられる物語は、確かに視聴者の心をとらえる高い完成度を誇っています。

例えば、冒頭のシーンから、すでに感動ものなのです。主人公であるキキが親元を離れて魔女のほうきで飛び立つシーン、これから何が待っているのか、物語がどのように展開していくのか、これは視聴者の想像力が駆り立てられる場面。そこでキキが、「ラジオを付けて」と愛猫のジジに言います。すると流れ出す主題歌、そしてタイトルの「魔女の宅急便」という文字。ここで一気に視聴者は物語のワクワクする世界に引き込まれていきます。

親元から離れて独り立ちして、自分で仕事をこなしていくのは簡単な事ではありません。しかし、キキは、ほうきで飛べるという魔女の特性を活かし、宅急便という仕事を始めます。個人的には、この組み合わせが面白いです。魔女という異世界的なものと宅急便というかなり現実界的なものが組み合わさり、それが、そこで繰り広げられる物語に大きな魅力を与えているのは、物語を見れば誰もが納得する所でしょう。実際に、場面場面で見ても、トータルで見ても、とても面白い内容と構成になっています。

ここで気になるのは、魔女のキキが黒猫のジジと会話できていたのに、途中から会話できなくなり、疎遠になるという部分です。なぜ、キキの魔力は弱まってしまったのでしょうか。魔力が弱まる前のシーンでは、キキが心ない女の子の態度に触れ、友人のトンボのパーティーへの出席も出来なくなってしまうという場面が描かれています。つまり、気持ちが落ち込むと魔力も失われてしまうという事ではないでしょうか。

元気なパワーがなければ、魔女は飛べないのかもしれません。しかし、トンボの危機に直面し、キキは、再び飛ぼうとします。この時のキキには、安定的で元気なパワーはありませんが、友人を救いたいという思いがあります。その力がキキを再び飛び立たせ、危機に陥っているトンボの元へと不安定ながら飛んでいけるようになります。

このような側面を考えると、この世界の魔女は、ポジティブな気持ちで魔力を発揮できるのではないかと思います。実際、友人を助けたいというポジティブな思いがキキを再び飛び上がらせます。

そして、なんとかトンボの救出に成功するキキ。物語はハッピーエンドを迎えます。しかし、なんとか空を飛ぶ事が出来ても、愛猫のジジと再び会話できるようにはなりませんでした。

映画は、そこで終わっています。では、この後もキキはジジと会話できなくなったのでしょうか。しかし、エンディングを見ていると、キキは、再び自由に飛べるようになり、そのすぐ後ろには愛猫のジジがいます。つまり、魔力がなくなって仲たがいしていたキキとジジも仲直りできたのです。

この事から、おそらく再びキキはジジと話せるようになったのではないでしょうか。そして、そのようなハッピーエンドの方が作者の意図に合っているので、恐らくそうなのではないかと思います。

このように考えてみると、この映画は、魔力の元はポジティブな思考であるという部分や、魔女であるキキがひとりの人間として成長していく過程が上手く描かれていて、とても良い物語なのではないか、と思いました。

見た事のない方にはぜひ勧めたい、とても良い映画だと思いました。