荒井由実 / 松任谷由実 / ユーミン

松任谷由実(まつとうやゆみ)とは、日本のシンガーソングライター。旧姓、旧芸名は「荒井由実」で、愛称は「ユーミン(Yuming)」。他のアーティストに作品提供を行う際は、本名の他にハリウッド女優であるグレタ・カルボをもじったペンネームである「呉田軽穂」(くれたかるほ)を名乗る場合もある。夫は、アレンジャーとして活動する松任谷正隆。彼女の音楽プロデューサーも務める。
自身は元々作曲家志望であったが、プロデューサーの村井邦彦の勧めから、シンガーソングライターとしてデビューする。
「あの日にかえりたい」「守ってあげたい」などがヒット。その後、バブル景気に人気の高かったスキーを題材にした映画『私をスキーに連れてって』の主題歌と挿入歌を担当。「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれ、当時の若者から脚光を浴びる。その後もヒットを連発。老若男女問わず幅広い世代から人気を獲得している。
楽曲提供も様々なアーティストに多数行っており、松田聖子の「赤いスイートピー」や、薬師丸ひろ子の「Woman”Wの悲劇より”」などを作曲。特に松田聖子に対してはこの「赤いスイートピー」以降も楽曲提供を行っており、発表したシングル曲を次々とヒットさせている。

hamahmaのレビュー・評価・感想

荒井由実 / 松任谷由実 / ユーミン
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ライブ演出が派手なユーミン

東京都八王子市出身のユーミンこと松任谷由実。
「聖マーガレット礼拝堂で聴いたバッハの『トッカータとフーガニ短調 BWV565』に衝撃を受け、涙が止まらなくなり、声がパイプオルガンのような声になった」とユーミン自身が言っています。
ユーミンは、八王子の荒井呉服店の次女として生まれました。
子ども時代は、八王子から1人で都会の街に行き音楽を聴いていました。
また、6歳からピアノを習っていました。
そして、14歳で曲を作り始めます。
ピアノの弾き語りで録音した自作の曲を当時タイガーズに所属していた加橋かつみが聞いて、「自分で歌いたい」と言ったことがきっかけで、加橋かつみ作詞・ユーミン作曲の「愛は突然に…」という曲が完成しました。
そして、17歳で作曲家デビューをします。

ユーミンは元々作曲家志望でしたが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、1972年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビューしました。

1976年11月29日、ユーミンは松任谷正隆と結婚をしました。
結婚後は歌手活動を辞めて曲作りに専念したいと考えていましたが、松任谷由実と名前を変えて音楽活動を続けます。

1979年以降は、コンサートの大規模化が始まり、大掛かりなステージ演出となっていきました。
マジックを取り入れた「MAGICAL PUMPKIN」、エレベータを設置した「BROWN'S HOTEL」、噴水ショー「SURF & SNOW」、30メートルの竜に乗った「水の中のASIAへ」などがあります。

ユーミン本人も「歌はうまくない」と言っているように、あまり声が出てないと思うときもあります。
ですが、歌は歌唱力だけではなく、歌詞からも人に感動を与えることができます。ユーミンの曲は歌詞で人に感動を与えてくれます。
また、ライブでは印象に残る派手な演出やステージセットとなっていて、聞くだけでなく見て楽しむこともできます。

歌唱だけでなく、演出やステージセットも楽しみたいと思っている人には、ユーミンのライブはお勧めです。