この作品の真の主人公は湯川ではない
東野圭吾原作のガリレオシリーズ初の劇場版にして、邦画の最高傑作の作品。
特筆すべきは湯川の大学の同級生で、現在は高校の数学教員を務めている堤真一演じる石神の存在だ。
原作の中で石神は湯川と対極の冴えない存在として描かれていたので堤真一を配役したのは美化しすぎではないかと鑑賞前は心配になったが、全くの杞憂だった。スクリーンの中の彼は完全に堤真一ではなく「冴えない数学教員の石神」そのものだった。
その石神が暮らすアパートの隣人である花岡親子を思うあまりに起こした行動は正に献身以外の何物でもない。善悪ではなくただただ純粋に彼女達を助けたいと思う気持ちが彼を犯罪へと駆り立て、残忍な方法で自らが盾となり2人を守ろうとした。
友人が凄惨な殺人に手を染めてしまった事に気が付いた湯川が内海に対して「僕がこの謎を解いた所で誰も幸せにならない」とこぼす姿には、いつもの「事件の理論だけを知れればそれで良い」、というドライな心情は欠片もない。
事件が明るみとなり連行される際、全てを悟った花岡靖子が石神に対して涙ながらにかけた「私も罰を受けます」という言葉に、今まで全く感情を表に出す事のなかった石神が「どうして」、と言葉にならない声をあげ、嗚咽しながら連行されていく姿は救い様のない悲しさと共に石神の人間らしい一面、そして数学の天才と称された彼が唯一愛だけを解明する事が出来なかったという事実が表れている。どうしても涙なしには見る事の出来ない悲しい結末だ。