ラ・ラ・ランド / La La Land

『ラ・ラ・ランド』とは2016年のミュージカル映画である。脚本、監督はデイミアン・チャゼル。女性俳優志望とピアニストの恋愛を描き、主演はエマ・ストーンとライアン・ゴズリング。
本作は2016年のベネチア映画祭で上映され、第74回ゴールデングローブ賞では映画作品賞を含む7部門を受賞し、第89回アカデミー賞では作品賞こそ逃したものの、エマ・ストーンの主演女優賞を含む6部門を受賞した。全世界で約4億5000万ドルの興行収入を獲得し、演技やミュージカルなどが批評家から絶賛を受けている。本作は近年のミュージカル映画では珍しくすべての楽曲が書き下ろしされており、大作ミュージカルとしても注目を集めた。
映画冒頭の印象的なワンカットのシーンである、高速道路上で「Another Day of Sun」を歌い踊るシーンでは、実際にロサンゼルスの高速道路を貸し切って撮影されている。
劇中で駆け出しのピアニスト役を演じたライアン・ゴズリングは、何度もあるピアノの演奏シーンをスタントなしで演奏している。
タイトルの「LALA LAND」とは、陶酔して現実離れしている状態という意味もある。これを踏まえて最後のシーンを鑑賞すると味わい深い。

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ラ・ラ・ランド / La La Land
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人生負け犬と観る!映画『ラ・ラ・ランド』

こんにちは。突然ですが皆さんは、幼少期、または学生時代描いていた夢を覚えていますか?
その夢は今、どうなったでしょうか。
そもそも夢だけをまっすぐ追いかけるのはどうしても難しいし、ましてや夢を追いかけた先で食っていけるだけの成功を収めるのはきっとほんの一握りの人間なのだろうと、負け犬街道真っただ中の筆者は思います。
そしてこれに共感してくださる方は、きっと少なくないんじゃないか、とも。
今回は、そんな夢を追いかける苦しさと厳しさをテーマのひとつに据えた2017年のミュージカル映画、『ラ・ラ・ランド』について、人生負け犬目線のしょっぱいレビューを書いていきたいと思います。

映画『ラ・ラ・ランド』の負け犬注目ポイント “成功者への嫉妬、悪意無き見下し”
『ラ・ラ・ランド』の主人公はふたりの男女です。ジャズピアニストとして、女優として、それぞれ成功することを夢見るセブとミア。
ふたりは恋に落ち、それぞれの夢を応援し合う…のですが、ある出来事をきっかけにふたりの間に亀裂が。
ある出来事とは、セブの成功。
元来、所謂古き良き、伝統的なジャズピアニストとしての成功を目指し、革新的な音楽に対しては嫌悪すらあらわにしていたセブですが、知人のスカウトを受け、嫌々ながらも“今っぽ”バンドのキーボードとしての活動を開始します。
そんなセブを、本人も女優として成功する厳しさに苦しみつつ献身的に気にかけていたミア。
しかしある時、彼女がセブのいるバンドのライブを見に行くとそこには、電子キーボードを叩き、若者から黄色い歓声を浴びて、なんかちょっと満足気に演奏をしているセブの姿。
は?(筆者の心の声)ミアは顔をゆがめてその場を立ち去ります。
わかります。は?が頭を埋め尽くす感覚。持久走大会で「一緒にゆっくり走ろう」って言ってたのに、途中で置いて行かれるときの感情によく似てる。
この嫌悪感、複雑ですよね。そりゃ、むかつくしその怒りをエネルギーに昇華してこっちも抜かし返してやれたらスカッとしますよ。
でももう自分の体の中にはそんな体力残っていなくて。自分の実力ではそれ以上どうすることも出来なくて。
そんな、ある種の自分の不甲斐無さから、相手の不誠実さを振りかざして逃げてしまう。
「前はああ言ってたのに!嘘だったの?」なんてまるで相手が悪いように責めてしまうのは、そういう自分の余裕の無さがあるからなんだろうなとも思います。
じゃあ、逆に抜かした側になったことが無いのかって聞かれたら、あるんですよね普通に。
だって負け犬は自分より下の者を視界に捉えてやっと安心できる悲しい生き物。
いつも目を光らせています。己が精神の安寧の為なら簡単に手のひらを返し、周囲を陥れる。
それが負け犬。愚かですね~^^
では『ラ・ラ・ランド』を例にこの現象を語ってみましょう。
バンド活動で多忙のセブは、半ば見切り発車でスタートしたひとり芝居の企画と準備とで不安を覚えるミアのもとへ訪れます。
不思議な気まずさが流れる中、成功者街道真っただ中のセブは、ミアに「ひとり芝居も女優の道もなにもかもやめて、自分についてこい」と声をかけます。
は?(心の声失礼します)そんな、ミアの夢を完全否定した、驕りでしかない発言を、ミアはやんわり断りつつも、「愚痴を言いながら行う今の音楽活動が本当に楽しいのか」「本当に続けていけるのか」なんて問いをセブに投げかけます。
図星を突かれたのかセブはそんなミアの言葉たちを突っぱねてこう放ちます。
「君が僕と付き合ったのは不遇な僕をみて優越感を感じたかったからだ」。
きっと、セブはずっとこの想いを抱えながらミアと居たんですね。
だから今回、自分が見下す側、優越感に浸る側に回れて、ついに醜い本音が出てしまった。
でもなんだか、筆者はセブを責めることが出来ませんでした。
いえ、この、セブのある種の“やり返し”には「小学生か」、と呆れますが。
ただ、仕事や、自分の人生が少しでも軌道に乗っていて、そして目の前の相手が「今、自分がいるのは人生のどん底だ」と絶望している時。
「そんなことないよ きっとうまくいくよ」と声をかけつつも、本気の応援には至れていない。
そんな経験、ありませんか。
それが遠回しに相手を傷付ける可能性を孕んでいる事に気付かないふりをして、見せかけの、気休めの善意を振りかざしたことが、人生において一度もないと、あなたは胸を張って宣言できますか?
もちろん私は出来ません。身に覚えがありすぎます。だってなんせ、負け犬なので…。
だからでしょうか。自分のことを言われているようで、セブを責めることが出来ないし、ミアに悪意は1ミリも無かったでしょうが、落ち度が全く無かったとは思えないんです。
だからこのシーンに関しては、「どちらも至らなかったけど、結果的に今回はセブの言葉が過ぎたよね。」て感じに受け止めています。
セブ、そういうのはね、胸の内に秘めるか、日記に書いて発散するくらいにしないと。
人を傷付け、傷付けられてきた百戦錬磨の負け犬はそう思います。

映画『ラ・ラ・ランド』、賛否両論のエンディング
映画『ラ・ラ・ランド』のエンディングは、本当に賛否両論でした。筆者は公開当時も今も、変わらずこのエンディングが好きですが。
さて、前項で説明したように、負け犬的にわかりみが深すぎる思考回路のもと亀裂が走ったセブとミアの関係。
それがどうなるのか、この映画のクライマックスで描かれます。
この結末、ふたりが選んだ道のどちらも、負け犬的にはとても納得がいくものになっています。
ここまでの負け犬エピソードでなにかひとつでも共感できる、覚えのあるものがあった方なら、「なははーん、そういうことね」とニヒルな笑みをかますこと間違いなし。
是非映画『ラ・ラ・ランド』の生々しいまでの心理描写とそれを演じ切る豪華キャスト陣の演技、物語を彩る音楽と色彩、そしてその結末を、あなたのその目で確かめてくださいね。
ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました。