『シン・ウルトラマン』で描かれる「人間讃歌」に迫る
『シン・ウルトラマン』は「ウルトラマン」の存在を「理解不能」な存在にすることに特化した作品だ。
彼らは「光の星」に住む宇宙人で、人間よりも高度な存在であることが今作では描かれる。
いわゆる「一個体」として完成された存在というわけだ。つまり「神」にも等しい存在だとも言える。
しかし、この物語で「神」にも等しい「ウルトラマン」は人間に「愛着」を持ってしまう。
人間は、「ウルトラマン」のように「一個体」で完成された存在ではない。
むしろその逆で「集団」で生活し、「群れをなすことでしか生きられない不完全さ」を持っている。
神にも等しい「ウルトラマン」が、なぜ「不完全な人間」を好きになったのか?
『シン・ウルトラマン』はその謎に迫る作劇になっている。
それは、「ウルトラマン」という高度な存在が、どれほど努力しても「人間」を「理解できない」からだ。
なぜ「群れで生きるのか?」「他者を愛するのか?」「傷ついても、他人を愛せるのか?」
高度な存在がどれほど深く理解しようとも、この謎に答えが出せない。
だからこそ、「ウルトラマン」は「人間を好き」になったことを最後に告白する。
これは我々も共感できることだ。
我々も「他人」を完全に「理解」することはできない。
それでも「他人」のことを「好き」になるし「愛する」こともある。
そんな「理解不能」である「人間」の素晴らしさをこの作品は示してくれているのだ。
つまり「人間讃歌」が描かれているとも言える。
この「人間讃歌」の描かれ方が、個人的に大変印象に残る作品であった。