警察の殺人事件の捜査協力をするうち、自分の大学時代の同級生石神が関わってきて彼と頭脳比べをすることになる物理学者湯川学の人生の無常
なんともやるせない話である。天才的な頭脳を持つ数学者が、高校教師の職に生きがいを見出せず、人生の生きる気力も失って最後に自分を賭けたのは隣に越してきた親子を守るための偽装殺人トリックだった。もし私が石神だったら自分の持つ数学の天才的な頭脳を活かして大学の研究室に残り研究を続けるとか、高校教師をやっているのだったら未来の天才となる資質を見出して高校生たちの数学力を伸ばすことに生きがいを見つけるとか、いくらでも選択肢はあり自殺まで考えるくらい追い詰められることはなかっただろうと思う。首を吊ろうとしていたまさにその時、隣に越してきた花岡親子の挨拶に気をそがれ、近くでお弁当屋をやっている花岡に惹かれていく。親子を守るのだって犯した殺人の偽装工作ではなく、ちゃんと自首を勧め、服役してくるまで待っていてあげてそれからの苦労を共に歩む生き方もあったはずだ。花岡親子の犯した殺人だって夫の暴力を防ごうとした事故過失なのだから情状酌量の余地も残っていたはずだ。それを自分が罪をかぶり一人死刑を待つという自己破滅的行動に出てしまった。石神が描く花岡親子の将来には自分の姿はなく、ただ自分が身代わりの犠牲になって親子の将来を守るというものである。だが果たしてそれで将来花岡親子が幸せに暮らせるだろうか。自分たちの罪を石神に着せたという強い後悔をずっと引きずっていくに違いない。真相を暴いた湯川学のセリフだが、君のその天才的頭脳をこんなことのために使うなんてとても残念だ。大学時代の親友と本当は一杯酌み交わしながら数学談義でもして過ごしたかったろうに、親友の人生を左右する重い決断を下さなければならなかった湯川学の人生の悲哀。唯一の救いは花岡親子が自首してきて石神の計画をぶち壊したことくらいではないだろうか。この事件で誰も幸せになったものはなく、苦い人間の一面を強く描き出した作品であった。