【マリ・キュリー】すごすぎる!ノーベル賞を2つ受賞した偉大なる天才たち【ライナス・ポーリング】
ノーベル賞といえば、毎年世界中が注目していますよね。近年は日本人の受賞者も増え、今後の動向からますます目が離せなくなっています。そんなノーベル賞、1回受賞するだけでもすごいことなのですが、世の中にはなんと2回も受賞した人が4名いました。この記事では、その4名、ジョン・バーディーン、マリ・キュリー、ライナス・ポーリング、フレデリック・サンガーの偉大なる功績についてまとめています。天才たちの血の滲むような努力と研究があったからこそ、今の世界があるのですね。
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父親は解剖学の大学教授、母親も教育者の経験があった。バーディーンは早くから数学の才能を示した。
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ゴルフが趣味で、研究の合間には、ゴルフでリフレッシュした。
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ノーベル賞がビジネスとつながった
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ノーベル賞が商業と直接結びつくようなことは、これまで一度もなかったそうだ。あくまでも基礎的な発見に重きを置かれ、彼の発見が次代の経済効果に多大な貢献をするであろうことは予想されなかった。
しかし、1960年代からの急速なエレクトロニクス産業にシフトされていくそのさきがけとなったのは、ジョン・バーディーンの基礎的な発見が功を奏していたことはあきらかだ。従来の物理学賞の狭いフレームの扉を、彼の研究は、こじ開けたのである。
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日本と意外な関係
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京都大学で行われた超伝導分科会では、中嶋貞雄(東京大学名誉教授)発表の電子フォノン理論に着目し、米国に帰国後、それをもとに論文、バーディーン-D.パインズ理論を発表し、BCS理論論文でも引用している。中嶋を後年イリノイ大学に招待するなど、終生の友情を築いた。
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その後も日本に何度か訪れている。最晩年に日本のテレビ番組であるNHKスペシャル・「電子立国日本の自叙伝」にトランジスター開発当時の証言が収録され、その映像が放映される前に亡くなっている。
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ジョークが好き
科学の世界で、彼は、ノーベル賞クラスの高度な研究を、コンスタントにやりつづけることのできる稀有の人だった。アインシュタインも匙を投げ出したという超伝導システムという、ひじょうに困難をともなうな研究をついにやり遂げたのである。
そういう人なのだが、ジョン・バーディーンは、とっつきにくくて、お堅い科学者ではなく、ジョークを連発し、モノの単位まで勝手につくってしまうという、ちょっと文学的で超現実的な、シュールレアリストだったようだ。
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マリは5人兄弟の末っ子。その中でもマリアは幼少の頃から聡明で、4歳の時には姉の本を朗読でき、記憶力も抜群だった。
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苦学生だった
マリは昼に学び、夕方はチューターを務める一日を送った。生活費に事欠いて食事もろくに取らず、暖房もなかったため寒い時には持っている服すべてを着て寝る日々を過ごしながら勉学に打ち込んだ。ついには倒れて医師である義兄の面倒になったこともあったが、努力を重ねた結果1893年には物理学の学士資格を得た。この年、貯蓄が底をつき一度は諦めたが、同郷の学友が彼女のために奨学金を申請し勉学を続けることができた。
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初対面のピエールを見た第一印象を、マリは「長身で瞳は澄み、誠実で優しい人柄ながら、どこか奔放な夢想家の雰囲気を湛えていた」と振り返り、科学や社会のことを語り合った際には自分と共通するところを多く感じたという。そしてピエールも同じように感じており、彼はマリに惹かれた。
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後に娘夫婦を加えると家族で通算5度のノーベル賞を受賞することになる
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娘もノーベル賞を受賞しているのです。
家事もできる
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マリはESPCIで研究を続けながら家事もこなした。裁縫は前から得意だったが、独身の頃はろくにやらなかった料理もどんどん腕を上げた。
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