「風の歌を聴け」でのデビュー以来、多くの作品を発表し話題を呼んでいる村上さん。
日本を代表する現代作家の一人と言われ、長編小説「1Q84」の総売り上げは、300万部以上にものぼると言われています。
「ノルウェイの森」は映画化もされ、ジョニー・グリーンウッドさんが提供した楽曲とともに評価されました。
一方「アンチ村上」の勢力も大きいとされ、それが関係しているのかいないのか芥川賞をはじめとする国民的な文学賞は候補になろうとも今一歩受賞まで届きません。
さらに、日本に留まらず世界的な名誉である「ノーベル文学賞」についても、毎年「受賞候補」とされながら受賞に至らないまま数年が経過しています。
村上さんはエッセイの中で「小説を執筆すること」を「仕事」、「好きな海外作家の翻訳」を「趣味」と定義しています。
実際、村上さんが翻訳した作家は以下のように多数。
スコット・フィッツジェラルド
村上さんが特に強い思いを寄せる作家が、スコット・フィッツジェラルドです。
「マイ・ロスト・シティ」「グレート・ギャツビー」他、代表作の多くを村上さんが翻訳しています。
レイモンド・チャンドラー
恐慌による経済難の中で書かれた「大いなる眠り」「さよなら、愛しい女」「高い窓」などの作品を、村上さんが翻訳されています。
トルーマン・カポーティ
映画作品も全世界でヒットした「ティファニーで朝食を」も、日本では村上春樹さんの新訳で2008年に再販されました。
村上さんが特に敬愛する作家であるスコット・フィッツジェラルドは、アメリカ文学のロストジェネレーションの代表作家としてよく名前が挙がります。
ロストジェネレーションの特徴は、第一次世界大戦後のアメリカの物質的・世俗的な価値観に嫌気が差し新しい生き方を模索しているという点です。
また、日本においてもある世代のことを差し「ロストジェネレーション」「ロスジェネ」と言うムーブメントが起きています。
日本においてのロストジェネレーションの定義は「バブル世代」と「ゆとり世代」のあいだにいる「就職氷河期」を経験している世代のこと。特に「フリーター」「ニート」問題と隣り合わせている世代です。
アメリカ・日本の各世代に共通して言えるのは、環境に絶望しながら自分にできること、自分の在り方を探しているというところでしょう。
村上さんの作品には日本的でないアイテムやモチーフ、価値観が見られ、アメリカをはじめとした海外の影響を感じることからどこか「おしゃれ」「気取っている」と感じる人もいるのでは。
しかし村上さんが描いているのは日本とアメリカをつなぐロストジェネレーションの泥臭さなのかもしれません。
多方から審議される村上さんの作品ですが、その話題性について右に出る作家はいません。
ものすごく好かれてものすごく嫌われる姿はかつての文豪さながらですが、現代日本にそうした小説家が増えることはあるのでしょうか?