日本と世界で起こったクマによる死亡事件まとめ

クマが人間を襲ったというニュース、毎年一度は必ず耳にしますよね。これまでの報道の中では、残念ながら襲われた人間が死亡するという悲劇も発生しています。この記事では、日本と世界で起こったクマによる死亡事件をまとめました。イラストなんかでは可愛く描かれるクマだけど、実際に目にすると恐ろしくて足がすくんでしまいますよね…。

その後、射殺された熊を解剖すると…

クマ牧場で従業員2人死亡

射殺されたヒグマらは解体解剖され、胃の中からは握り拳程度のくすんだ赤色の肉片、毛髪、捲れた皮膚、胃液で黄色に変色したタイツなどが発見された。
事件の原因は除雪時のミスと考えられる。また、クマ牧場は経営難で、施設の老朽化が目立っていた点を以前から問題視されていた。

2016年|十和利山熊襲撃事件

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2016年5月から6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯字熊取平 と字田代平 で、ツキノワグマがタケノコ採り客を襲撃し4人が死亡、2人が重傷を負った事件である。北海道に生息するヒグマも含めると三毛別羆事件、石狩沼田幌新事件に次いで日本史上3番目に最悪な獣害事件と言われる。また、本州では記録に残っている中では最悪な獣害事件である。事件の命名者はNPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長の米田一彦である。

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1996年|星野道夫死亡事件

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星野は自身の持ち込み企画である「ヒグマと鮭」を題材にした写真を撮影するため、TBSのクルーと共にロシアのカムチャッカ半島南部のクリル湖畔へと訪れる。付近には身の安全を確保できる小屋や「鮭観察タワー」などの宿泊施設があったものの、彼は敢えて湖畔のほとりにテントを設置し、そこへ寝泊りすることを選択。季節は7月で「この時期は、サケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」との見識に基づいた判断だった。
到着してから2日後の夜、異変が起こる。宿泊用の小屋に備え付けてある食糧庫にヒグマがよじ登り、飛び跳ねていた。発見したのは星野の近くでテントを張っていたアメリカ人写真家。体長2m超・体重250 kgはあろうかという巨体を持ち、額に赤い傷のある雄クマだったという。
このヒグマは数日前にも食糧庫を荒しており、どうやら空腹のようだった。なぜ食べるものに困らない時期のはずなのに、人間の食糧を欲するのか。実はこの年、サケの遡上が例年よりも遅れていたのだ。さらにこのヒグマは地元テレビ局の社長によって餌付けされた個体であったため、人間への警戒心が薄かったとも考えられている。
しかし星野はそんなことを知る由もなく、再三に渡るガイドの忠告を聞き入れず、テントでの宿泊を続行。そして、2週間後の深夜、キャンプ場に突如絶叫が響き渡る。その声がすぐに星野のものだと分かったTBSスタッフは、急いで小屋へ駆けつける。そこには例のヒグマが彼を咥えて、悠々と森の中へ戻っていく姿があった。その後、森の奥深くで発見されたときには、星野は無残に食い荒らされた後だった。

2011年|ペトロパブロフスク羆事件

2011年8月13日、シベリア東部のカムチャッカ半島東岸に位置するペトロパブロフスクという、漁業で有名な都市の近隣のTermalniy村近郊の川辺で発生した羆襲撃事件。2名の親子が死亡し、娘がクマに食害されている最中に母親へ電話し助けを要請したと云う凄惨な事件である。
2011年8月13日、音楽学校を卒業し、数日前に運転免許も取得したオルガ・モスカヨワ(19)は、継父のイゴール・チガネンコフさんと一緒に記念のキャンプ旅行に来ていた。
正午頃、川原でイゴールさんが休んでいると、突然、背の高く生い茂った葦の中から巨大なヒグマが襲いかかって来た。イゴールさんは抵抗する間もなく一撃で首の骨を折られ、さらに頭骨を圧し割られ死亡。その継父が殺害される様子を近くの葦の奥で目撃したオルガさんは、直ぐにその場から逃げる事を試みたが、彼女の存在に気付いたヒグマの反応の方が素早かった。 70ヤード程逃げた地点で、彼女は足を攻撃され身動きが取れなくなった。 そしてヒグマは彼女の体を下半身から生きたまま喰い始める。
その絶望的な状況下、彼女は手持ちの携帯電話で母親のタティアナさんに助けを求める電話を掛けた。タティアナさんが電話にでると、「ママ!! クマが私を食べているの! ひどく痛いよ! たすけてー!!」という娘のオルガさんの声が聞こえる。当初、母親はいつもの娘の悪いジョークだと思ったものの、近くで獣の息遣いと、何かを食べる粗食音が聞こえた為に現実を理解し、気が動転しながらも夫のイゴールさんの携帯電話に掛ける。しかしこの時には、既にイゴールさんはヒグマにの攻撃で絶命していた。
ティアナさんは夫が電話に応答しない為、直ぐにキャンプ地近くのTermalniy村の警察に通報。その通報する最中、オルガさんからタティアナさんに二度目の電話が掛かってきた。
『ママ…、クマが戻ってきた…3頭のコグマを連れてきて…彼らが私を食べているわ…』と弱々しい声で自らの状況を語り、電話が途切れてしまった。
タティアナさんは警察に事情を伝え、救援を急ぐ様に要請し、夫の親族にも様子を見に行って欲しい旨を連絡。それから数分後、再度、オルガさんからの三度目の着信を知らせる着信音が鳴り響く。『ママ、もう噛まれていないわ…。 痛みも感じなくなった…、今までごめんなさい。凄く愛してる』と自身の死を悟ったかの様な電話内容であり、この三度目の電話の声が母親が最後に聞く娘の声となった。

2014年|ニュージャージー ハイカー襲撃事件

2014年9月21日、米国のラトガース大学の学生、ダーシュ・パテル(22)は、
ニュージャージー州ウェスト・ミルフォードの自然保護区に友人達三人と
ハイキングに来ていた。

そして、クロクマが彼らの後を付いて来ている事にある地点で気付いた。
野生動物に好奇心があり、距離も離れている事もあり、四人は足を止め、
手持ちの携帯電話でクマを写真に収めたところ、クマが若干、四人との
距離を縮める動きを取ったので、警戒しながら数枚の写真に収めた。
すると、更に距離を縮めようと此方側に真っ直ぐに向かってきたので、
四人はパニックになり、蜘蛛の子を散らす様な逃げ方になってしまった。
逃げる際、パテルの靴が脱げてしまい、彼が逃げる三人に向かって、
構わずに走り続けろと叫び、岩の上に逃げようとしていた姿を友人の一人が
後に証言している。 その姿がパテルの生前時の最後の姿となってしまった。

残りの三人は森を抜け、警察に通報。
地元の警察が森に捜索に入ると、渓谷の谷の底でパテルの遺体を発見。
問題のクマは、遺体の周囲を周回するようにウロウロしていたので、警官二人が
ショットガンで射殺したとの事。

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