日本と世界で起こったクマによる死亡事件まとめ

クマが人間を襲ったというニュース、毎年一度は必ず耳にしますよね。これまでの報道の中では、残念ながら襲われた人間が死亡するという悲劇も発生しています。この記事では、日本と世界で起こったクマによる死亡事件をまとめました。イラストなんかでは可愛く描かれるクマだけど、実際に目にすると恐ろしくて足がすくんでしまいますよね…。

1915年|三毛別羆事件

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三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年12月9日から12月14日にかけて、当時の北海道苫前郡苫前村、三毛別、六線沢で発生したクマの獣害事件である。エゾヒグマが何度も民家を襲撃。開拓民7名が死亡し3名が重傷を負った、日本における最大の獣害事件の1つと言われている。討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事態は終息した。2015年にはこの事件を題材にした木村盛武の書籍『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』が出版された。

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1923年8月21日|石狩沼田幌新事件

夏祭りから帰宅途中の住民が、山道でヒグマに襲われた事件。最初に子供や青年らが襲われ、彼らが逃げ込んだ民家も襲撃に遭った。襲われた青年の1人は土の中に生き埋めにされたり、山の中へ引きずり込まれた高齢者が咬殺・食害されてしまうなど、凄惨な事件となった。駆除に向かった猟師などにも死傷者が発生し、最終的には5人が死亡し3人が重傷を負った。

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1878年|札幌丘珠事件

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1878年(明治11年)1月11日から1月18日にかけて北海道石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(のちの札幌市東区丘珠町)で発生した獣害事件である。一般にクマは冬眠中の季節だが、ある猟師がクマ獲りに山へ入る。しかし猟師はクマを取り損ね、怒ったヒグマに殺されてしまう。理不尽に起こされ飢餓状態のヒグマは村から村へ渡り歩き、猟師や開拓民の夫婦を襲撃。死者3名、重傷者2名を出した。

1970年|福岡大学ワンダーフォーゲル同好会羆襲撃事件

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Cさんが残したメモ

福岡大の5人は1970年7月14日、日高山脈縦走のため、北部の芽室岳から入山した。
25日午後3時20分ごろ、カムイエクウチカウシ山北側にある九の沢カールに着いてテントを設営。
午後4時半ごろ、夕食後に全員がテント内にいたとき、6-7メートル先にクマを発見。最初は興味本位に眺めていたが、やがて外にあったザックをあさり、食料を食べ始めたので、すきを見てザックを回収、すべてテント内に入れた。火をたき、ラジオを鳴らし、食器をたたいていると、クマは30分ほどで姿を消した(第1の襲撃)。
午後9時ごろ、クマの鼻息がして、テントにこぶし大の穴があく。2人ずつ交替で起きて見張りをした(第2の襲撃)。
7月26日午前3時起床。撤収準備中の午前4時半、再びクマが現れ、近づいてきた。テントに入ろうとするので、5人は支柱やテント地を握り、5分間ほど、クマとテントを引っ張り合う形になった(第3の襲撃)。
最後にグマと反対側の幕を上げ、5人そろって稜線方向に逃げ出し、50メートルほど離れた。クマはテントを倒し、ザックの中身をあさっていた。ザックをくわえては低木帯の中に隠すという行動をくり返した。
リーダーA君の指示で、サブリーダーB君と最年少のE君の2人が九の沢を下って、ハンター出動を頼むことになった。
2人は午前7時ごろ、八の沢出合いで北海岳友会(北海学園大)の18人パーティーに出会い、救援要請を依頼。コンロや食料、燃料、地図を借り受け、残った3人と合流するため、八の沢を登りなおした。
6日午後1時、カムエク岳近くの稜線で下った2人と残った3人が合流。稜線上で鳥取大、中央鉄道学園のパーティーに会う。
午後3時、稜線上のほうが安全と判断してテントを張る。
午後4時半、ヒグマ出現。縦走路を50メートルほど下って、1時間半ほど様子を見る。午後6時ごろ、鳥取大のテントに避難させてもらうことに決定。稜線を外れて、カールを下り始める。
午後6時半、稜線から60-70メートル下ったところですぐ後ろにいるクマに気づき、全員が駆け下りる。
E君が最初に襲われ、ヤブの中で悲鳴や格闘の音がした後、「足を引きずりながら、カール底の鳥取大テントの方に向かって行くのが見えた」という。
リーダーA君が「全員集合」をかけたが、集まったのはB君、D君の3人のみ。2年生のC君は、答える声は30メートルほど下から聞こえたが戻らず、そのままはぐれてしまった。C君はこの後、1人で夜を過ごし、翌日の27日午後3時までは生存していたことが、遺品のメモから分かった。
午後8時ごろ、3人は安全そうな岩場に身を寄せ、ビバークした。
27日朝は霧が濃かった。3人は午前8時から行動を開始。岩場から下るとまもなく、目の前にクマが出現した。
リーダーA君がクマを押しのけるように進み、そのままカールの底の方へとクマに追われていった。A君も遺体で発見される。
残った2人はカールを避けながら八の沢に出て、沢を下った。午後1時、砂防ダム工事現場に着き、車を手配してもらう。午後6時、中札内駐在所に2人は保護された。
26日夕方に仲間とはぐれたC君は、孤独と恐怖の中で手帳にメモを残していた。「下の様子は、全然わからなかった。クマの音が聞こえただけである。仕方ないから、今夜はここでしんぼうしようと…」とある。
彼は焚き火が見えた鳥取大のテントに逃げ込もうと、夕暮れの中を下ったが、クマに見つかり、追われる形になった。
ガケに上り、石を投げつけ、「15㎝くらいの石を鼻を目がけて投げる。当った。クマは後さがりする。腰をおろして、オレをにらんでいた。オレはもう食われてしまうと思って…一目散に、逃げることを決め逃げる」と書いた。
転びながら、後ろを振り返らず、やっと逃げ込めたテントには誰もいなかった。
「なぜかシュラフに入っていると、安心感がでてきて落ちついた。それからみんなのことを考えたが、こうなったからには仕方がない。風の音や草が、いやに気になって眠れない。鳥取大WVが無事報告して、救助隊がくることを、祈って寝る」
翌27日、早朝から目は覚めたが、「外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする」。
テントの中のご飯を食べて少し落ち着いたが、状況は変わらない。「また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。ああ、早く博多に帰りたい」と、切ない言葉が続く。
午前7時、下山を決意して握り飯を作り、テント内のシャツや靴下を借りて外に出るが、「5m上に、やはりクマがいた。とても出られないので、このままテントの中にいる」。
絶望のメモは字が乱れ、不安を書き記して途絶える。
「3:00頃まで…(判読不能)
他のメンバーは、もう下山したのか。鳥取大WVは連絡してくれたのか。
いつ、助けに来るのか。すべて、不安でおそろしい…
またガスが濃くなって……」
C君は1人でテントにいるところを襲われて亡くなったらしい。

2012年|秋田八幡平クマ牧場事件

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「秋田八幡平クマ牧場」は、秋田県鹿角市の八幡平熊沢外国有林内にあったクマの動物園。八幡平クマ牧場とも呼ばれる。飼育員がヒグマに襲われた死亡事故が発生したため休園し、2012年6月に閉園した。

事件の経過

写真で見てもわかるほどやつれている熊。閉園が決まっていたため、餌を与えず空腹で共食いをさせることでさっ処分せずに数を減らす目的だったらしい

午前8時頃、冬期閉鎖中のクマ牧場では、春の営業再開に向け、3名の従業員が作業中だった。
女性従業員は餌場に餌を置き、クマを運動場に放つ為に冬眠房を開けたのだが、この時、運動場内には、
2日前の除雪作業中に圧雪し損なった事で雪山が出来ていたが、その事態に、従業員達は気付いていなかった。
午前9時頃、運動場に放たれたヒグマの内、6頭が、高く積み上がった雪山を利用し、堀外に脱走。
餌場で作業中の女性従業員・館花タケさん(75)は、ヒグマの脱走に気付き、急いで、外通路に飛び出し、
「クマが逃げ出した!」と、付近で雪を水で洗い落とす作業をしていた男性従業員に叫び知らせた。
男性従業員は、タケさんの叫び声に気付き、瞬時に事態を把握したが、その叫び声に気付いたのは男性従業員だけ
ではなかった。 男性従業員が目を向けた先では、逃げ走るタケさんにヒグマが襲いかかり、噛み付いていた。
また、奥通路で作業中の筈である、もう一名の女性従業員・館花タチさん(69)からは、何の応答も無く、
最悪の事態も想定された。 男性従業員は、急ぎ、牧場経営者に電話連絡し、其の足で、近隣の鹿角市猟友会会員
の青澤さん宅にも事態を知らせに向かった。
午前10時頃、牧場経営者から緊急要請を受けた警察、救急隊が牧場出入口に到着。
暫く後、男性従業員と青澤さんも現地に到着。 国道側から牧場を見下ろせる為、青澤さんが上に上がってみると、
牧場内での凄惨な光景が目に飛び込んできた。
直ぐには、タケさんなのか、タチさんなのが判別が付かないが、横たわっている人物がおり、更に、2頭のヒグマが、その人物を餌でも奪い合うかの様に引っ張りあっていた。
青澤さんは、警察からの緊急召集要請が猟友会に掛けられる事を予測し、自宅に戻り、銃器の準備に取り掛かった。
その後、まもなく、警察隊は自分達だけでは手に負えないと判断し、猟友会に緊急救助要請を発令し、関連施設に於けるヒグマの射殺許可要請を発令することになる。
午前11時半頃、猟友会のツキノワグマ撃ちの名人・斉藤良悦さん(57)も要請を受け、現地に到着。
正午頃には、射殺許可も発令され、斉藤さんを含む領友会の会員は、次々とヒグマを射殺していく事になる。
一匹目は、脱走原因になったとされる雪山近くの外通路におり、体長は約1.5メートル、体重は約250キロ程の
大きさだった。 ヒグマを撃った経験が無かっただけに不安な部分もあったが、見事に頭部を撃ち抜き、射殺した。
最初に発見したヒグマを射殺後、「こっちにもいるぞ!」との猟友会の他会員の声を耳にし、声元の方に移動すると、一匹目よりも明らかに大きく、体長、約2メートル、体重、約300キロ近くと見られるヒグマが2匹いたので、
片方を、付近の手摺で銃身を支えながら銃弾を放ち、射殺に成功すると、もう片方のヒグマが、突如、立ち上り、
仁王立ちの態勢で威嚇してきた。 急ぎ、斉藤さんは弾を装弾し、頭部を一撃の下、3匹目の処理の成功。
餌場付近に、4匹目のヒグマが彷徨いている事を確認し、目眩などが発生するリスクを考慮し、合図と共に、
数人が一拍置きに銃弾をヒグマの体の浴びせ、射殺。
その後、5匹目のヒグマも発見したので、4匹目を射殺した時と同じく、合図と共に、一拍置きに銃弾を浴びせ、
手応えを感じたが、ヒグマは、くるりと後ろを向き、近くの餌場内に、もう一匹のヒグマと共に隠れた。
そこで、斉藤さん含め、皆で餌場を包囲したが、ヒグマが出て来ない為、斉藤さんがショベルカーに乗込み、
餌場のトタンの外壁を強引に剥がし、中の様子を確認すると、5匹目のヒグマは既に絶命していた。
その亡骸の近くに、6匹目のヒグマがおり、斉藤さんとの距離は5メートル程だった。
ヒグマは斉藤さん目掛けて、飛び掛かろうとする仕草を見せたが、斉藤さんが目を見開き睨み付けると、後ずさりを
始めたので、直ぐに飛び掛かっては来ないと判断し、斉藤さんは、急いでショベルカーに乗込み、半身を車外から
出す姿勢でライフルの照準をヒグマの頭部に定め、一撃で射殺。
脱走した6頭全てを射殺した頃には、午後4時近くとなっていた。

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