解離性障害を考える2~「ゴールデンタイム」
解離性障害を扱った作品で、2番目に紹介するのは「ゴールデンタイム」です。記憶を失い別人格となった主人公が、記憶が戻ること=今の自分が消えてしまうことという恐怖を描いた作品でもあります。何が「自分」を「自分」たらしめているのか、そもそも「自分」とは何なのか。ライトノベルとしてはやや重すぎるんじゃないかというテーマに敢えて挑戦した作品で、今読み返すとちょっと時代が早すぎたような気もしてきます。
解離性障害を考える1~「明日、今日の君に逢えなくても」 - RENOTE [リノート]
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「解離性障害」という心の病があります。簡単に説明すると「自分が自分でなくなってしまう」のです。それまでの記憶をすべて失ってしまったり、同じ体に違う人格が宿ったり。説明するといろいろややこしくなってしまうのですが、そういう心の病をモチーフとして描いたライトノベルがいくつかあります。最初に紹介するのは「明日、今日の君に逢えなくても」という、ひとつの体にいくつもの人格を持っている少女の話です。
「記憶喪失」の主人公
「ゴールデンタイム」(作・竹宮ゆゆこ、イラスト・駒津えーじ)の主人公・万里は、物語開始時点では「記憶喪失」とされています。ある理由で記憶をすべて失い「別人格」として大学に入学したのです。
そこで出会ったヒロイン・香子に惹かれていく一方で、かつての自分が特別な思いを抱いていたもうひとりのヒロイン・リンダとも大学で先輩後輩として再会するというストーリーです。
「生きてきたことを残したい」
実は万里の病は単なる記憶喪失ではなく「解離性障害」によるものです。やがて記憶を失う前の人格が表に出てくるようになり、ありふれた、それでいて楽しい日常を生きていながらも、万里は「今ここにいる自分」がいつか消えてしまうのではないかという恐怖にさいなまれるようになります。
それが不可避のものだと悟ったとき、主人公は自分の映像を残しておこうと決意します。
「……自分への証明として、残しておいてもらいたいんだ。俺がちゃんとここに生きてたってことを、この瞬間を、未来に残したい。そして未来にいるみんなに、俺がちゃんとここに生きてたってことを、わかってほしい」(7巻275ページから引用)
「自分」というものの存在が消えてしまうかもしれないことの怖さと、それに立ち向かっていく主人公の心情が丁寧に表されています。
セールス的には恵まれなかった
竹宮さんといえば大ヒット作品となった「とらドラ」が有名です。この「ゴールデンタイム」もアニメになるくらいにはヒットしたのですが、単純な売り上げでは「とらドラ」には及ばなかったのが実情です。
「自分の居場所」をテーマにした「とらドラ」から、「そもそも自分とは何か」をテーマにした「ゴールデンタイム」は、物語としては正常進化なのですが、これを出すには時代が早すぎたのかもしれません。
この項続く。
解離性障害を考える3~「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」 - RENOTE [リノート]
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解離性障害を扱った作品のうち、この話を最後に持ってきたのは「最も救いがなかったから」です。扱っているテーマのヘビーさもさることながら、物語に安易な救いを用意しないというのは潔いのですが、同時に「エンターテインメントである必然性」という問題も抱えてしまうからです。「当たり前にあるものは当たり前に書く」という作家の姿勢は、エンターテインメント性とは相いれない部分があるとも思えてしまうのです。