解離性障害を考える1~「明日、今日の君に逢えなくても」
「解離性障害」という心の病があります。簡単に説明すると「自分が自分でなくなってしまう」のです。それまでの記憶をすべて失ってしまったり、同じ体に違う人格が宿ったり。説明するといろいろややこしくなってしまうのですが、そういう心の病をモチーフとして描いたライトノベルがいくつかあります。最初に紹介するのは「明日、今日の君に逢えなくても」という、ひとつの体にいくつもの人格を持っている少女の話です。
ひとつの体にいくつもの人格
「明日、今日の君に逢えなくても」(作・弥生志郎、イラスト・高野音彦)では、解離性同物異名症候群(シノニム・シンドローム、以下シノニム)という架空の病気が設定されています。ひとつの体にいくつもの人格を抱えてしまう病気で、ヒロインには家庭的な藍里、スポーツ少女の茜、バンド少女の蘭香という3つの人格が代わる代わる表に出てくるというややこしい設定になっています。
「本当の私」にすべてを託して
こういう物語の常として、どの人格が本来のヒロインの人格かということがカギになってくるのですが、この作品の場合は「実は3人とも違う」というどんでん返しが設定されています。ある理由で表に出てこなくなった「本当の私」が存在しているのです。
3人は自分の目標を達したあと、「本当の私」にすべてを託して消えてしまうのですが、これってひとつの人格の「死」ですよね。読んでいて結構ハードなものがあります。
解離性障害を扱った作品といえば…
この作品について書いている途中でふと思ったのが、現実社会で多重人格や記憶喪失を起こしてしまう解離性障害を扱ったライトノベルがあるということです。
ひとつは竹宮ゆゆこさんの「ゴールデンタイム」、もうひとつは鴨志田一さんの「青春ブタ野郎シリーズ」5巻の「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」です。この2作品についても触れていきたいと思います。
この項続く。
解離性障害を考える2~「ゴールデンタイム」 - RENOTE [リノート]
renote.net
解離性障害を扱った作品で、2番目に紹介するのは「ゴールデンタイム」です。記憶を失い別人格となった主人公が、記憶が戻ること=今の自分が消えてしまうことという恐怖を描いた作品でもあります。何が「自分」を「自分」たらしめているのか、そもそも「自分」とは何なのか。ライトノベルとしてはやや重すぎるんじゃないかというテーマに敢えて挑戦した作品で、今読み返すとちょっと時代が早すぎたような気もしてきます。