ハルキストじゃなくても大丈夫! 村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」の魅力をご紹介!

村上春樹が小説に対するスタンスを真面目に且つユーモラスに伝える今作は、いわゆる村上春樹ファンであるハルキストでなくても十分楽しめる作品です。今回はノーベル賞を毎回期待される本人の意外な本音も聞けたりするエッセイ「職業としての小説家」をご紹介したいと思います。

小説をどう描くのか

私は村上春樹の小説があまり好きではありません。しかし文章のリズム自体は好きなのです。適切な言葉の選択と、流れるような文章のテンポの良さ。やはり熟練した小説家というのは自分の書き方というものをわかっているんでしょうね、本当に文章自体は好きなんですよ。

そんな彼が本書で小説の書き方を述べました。簡単にまとめるとポイントは2つ。好きなように書く、そして毎日コンスタントに書き続けることです。前者は細部まで設定を決めないということです。キャラを立ち上げるのは自身の本能的な想像力に任せれば良い。そういうことですね。しかし。後々の修正にはかなり力を入れるようです。本能で描いた物語を理性的な形に整えるのです。

後者は毎日書き続けることはもちろんなのですが、彼独自のルールとして書き過ぎてはいけないし、かといって書き足りないのもいけない。1日数ページ書くと決めたらどんなに興が乗っていても、どんなに筆が進まなくても、決められたページ数で執筆を止める。そういうことだそうです。

村上春樹はノーベル賞をどう見ているのか

どうやら彼はノーベル賞とか芥川賞とか、そういったものには興味がないようですね。確かに賞の選考委員などには選ばれていませんし、たとえ候補に挙がったとしても辞退しているのでしょう。商業作家というよりも、純粋作家という言い方が、村上春樹には似合っているのかもしれません。おそらく、彼は小説で金を稼げなくなったとしても物語を描き続けるのではないでしょうか。それほどまでに村上春樹は小説というものに埋もれているし、そして彼自身もそれを楽しんでいるのだと思います。

別の著書にはなるが、彼はハルキストという呼び方がお気に召さないらしいです。村上春樹曰く、彼は自身のファンのことを「村上主義者」と呼びたいみたいです。それが浸透するかどうかはまあ今後の展開次第なのでしょうが、少なくともハルキストよりかは大分ましなネーミングかと思います。私もハルキストという呼び名が嫌いです。なんというか、自分たちは文学を分かる高尚な人種なんだという浅い誇りが見え隠れしているんですよね。

結局村上春樹は村上春樹でしかないんだろう

村上春樹はあらゆる物事をスルーして生きているように思えます。ただただ好きに小説を書いて、好きに翻訳して、そんなことを繰り返している普通のおっさんなのでしょう。きっとそのスルーできるというのも、一種の才能です。批判されれば誰だって落ち込みますし、称賛されれば喜びます。しかし村上春樹は批判の部分を「まあそういう人もいるだろうな」で流してしまいます。

本心はどうか知りません。エッセイと言っても、後から修正することはいくらでも可能ですからね。しかし批判を恐れず、自分の描きたいことだけを描くというスタンスは間違いなく備わっているのでしょう。そうでなくては好き嫌いの激しすぎるあんな小説を書くことはできませんからね。読者を意識し、媚びるのが良いのか、それとも独自の道を突き進むのかどっちが良いのかは分かりませんが、私個人の意見では村上春樹のような、好きなことを、描きたいときに描くというスタンスが好きです。

まとめ

村上春樹の小説は好きになれないけれども、文章自体は好き。それは変わりません。おそらくこの先彼の新刊が出たとしても購入はしないだろうし、貸してやるから読んでみろと言われても遠慮すると思います。しかし本当に文章は好きなのです。事実、このエッセイは気に入りましたからね。

ハルキストでない皆さんも、どうかこの本を読んでみてください。村上春樹の観方が変わると思いますよ。まあそれが直接彼の描いた小説の観方が変わることを意味するわけではないんですけどね。少なくとも、村上春樹自身への評価は些か変わってくると思います。ぜひ読んでみてください。

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@keeper

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