栗原類(Louis Kurihara)の徹底解説まとめ

栗原類(くりはらるい)とは、1994年12月6日生まれのモデル・俳優である。イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、小学生時代をニューヨークで過ごす。5歳ごろからモデルとしての活動を始め、雑誌『MEN'S NON-NO』や『POPEYE』などに出演。また高校在学中に出演したバラエティ番組をきっかけに、「ネガティブモデル」として一躍有名になる。その後は俳優として、映画やドラマにも数多く出演している。

栗原類の概要

栗原類(くりはらるい)とは、イギリス人の父と日本人の母を持つモデル・俳優である。1994年12月6日、東京に生まれる。5歳ごろからモデル活動を始め、6歳から11歳までアメリカ・ニューヨークで暮らした。中学に入る頃に帰国し、雑誌『MEN'S NON-NO』や『POPEYE』などで、本格的なモデル活動をスタートさせる。バラエティ番組への出演をきっかけに、「ネガティブすぎるイケメンモデル」として一躍知名度を上げた。2015年にはパリコレデビューも果たし、映画やドラマ俳優としても活動を展開している。

栗原類の活動経歴

キッズモデル時代と渡米

幼少期の栗原

5歳の頃からモデルの活動を始める。その後、両親が別れたのをきっかけにアメリカへ移り、小学生時代のほとんどをニューヨークで過ごした。中学校で日本へ戻ってきたが、いじめもありあまり馴染めていなかった。

本格的にモデル活動スタート

中学に入った頃から、自らの意思で本格的にモデル活動をするようになる。俳優に憧れがあり、モデルから俳優になった先輩たちの後に続きたいと考えていた。中学生の時に、男性向けファッション雑誌『MEN'S NON-NO』に出演。

バラエティ番組でブレイク

17歳の頃、バラエティ番組に出演する機会が巡ってくる。そこで独特の存在感と後ろ向きな発言が話題となり、「ネガティブすぎるイケメンモデル」として一気に知名度を上げることとなった。

パリコレデビュー

パリコレのランウェイを歩く栗原

日本での知名度が確固たるものとなった2015年、ファッションデザイナー・ヨウジヤマモトのショーモデルとして、パリ・コレクション(パリコレ)のランウェイデビューを果たす。

栗原類のプロフィール・人物像

生年月日:1994年12月6日
出身:東京都
身長:180cm

イギリス人の父と日本人の母を持つ。実母は翻訳家の栗原泉。6歳から11歳までをアメリカのニューヨークで過ごし、渡米前からモデルとしての活動を始めていた。高校在学中にバラエティ番組に出演した際、彫りの深い整った顔つきとひねくれた後ろ向きな発言のギャップが人気を呼び、「ネガティブイケメン」として知名度を上げた。

栗原類の名言・発言

「今できなかったとしてもいつかできればいい」

アメリカで生活していた際、発達障害(ADD)と診断された栗原。苦手なことが多く、芸能活動でも大変なことがあるという。たとえば靴紐を結ぶのが苦手で、ずっと周囲の人に結んでもらっていた。でも「それではいけない」と思い、猛練習して10代後半頃にやっと1人で結べるようになった。「普通」の人ができることができない場合が多いが、それでも栗原は「今できなかったとしてもいつかできればいい」と、長い目で見て自分自身を肯定しているという。

「僕は自称フェミニスト」

栗原類は、自身の母親である栗原泉を「偉大な存在」だという。シングルマザーとして類を育てるために定職につき、柔軟な子育てをしてくれたと話す。「ネガティブすぎるモデル」としてブレイクした頃、母からは「この期間に他のスキルも身につけた方がいい」という忠告を受けたが、類は忙しさからそれを実践することができなかった。すると徐々に仕事に行き詰まるようになり、母のアドバイスを聞かなかった自分の愚かさを実感した。こうしたことから類は、「僕は自称フェミニスト」だという。女性が我慢しているからこそ社会が成立しているから、男性はもっと女性に感謝を示すべきだと話した。

「恋愛に興味がない」

映画公開前のイベントに出演した際、自身の恋愛について聞かれた類は、「正直恋愛に興味がない」と一蹴した。「同世代に趣味が合う人がいない」と、恋愛については後ろ向きだった。しかし2023年11月、ソフトバンクの外野手・栗原陵矢が結婚を発表。SNSでは「#栗原結婚」がトレンド入りしたことで、「栗原類が結婚したのでは」と憶測を呼んだ。これについて類は自分ではないことに言及した上で、「結婚したい気持ちあります」と投稿。恋愛に対するスタンスの変化を見せた。

栗原類の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

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