不思議発見!なんでこの時代に?オーパーツ都市伝説まとめ
場違いな工芸品、その時代の技術では考えられない遺物、いわゆるオーパーツをまとめました。面白くて眠れなくなる不思議な都市伝説をお楽しみください。信じるか信じないかはあなた次第です。
バグダッドの古代電池
1936年、イラクの首都バグダッド南西郊外のクジュトラブアにある約二千年前の古代パルティア遺跡から、奇妙な壷が発見され、イラクの国立博物館研究所に送られてきた。 高さ15cmほどのその壷は、中にアスファルト(黒色固定の天然瀝青物質)の残留物と、それにしっかり固定された高さ10cm、直径2.6cm程の銅製の円筒形物体、更にその中に一本腐食の激しい鉄棒が入っていたという。
バグダッド近辺では、他の遺跡からも同種の壷が見つかっていたが、ドイツ人の考古学者ウィルヘルム・ケーニッヒ博士は、この壷を調べた上で、古代の電池であるという驚くべき結論を出した。
第二次世界大戦後に「古代電池」と同じレプリカを作った結果、5vから2vの電気が発生することが証明され、ケーニッヒ博士の推論は裏付けられたという。
電池が発明されたのは18世紀後半であることから、これより遥か前に古代イラクでは、既にその技術を持っていたのだろうか。
コスタリカの石球
1930年、中米コスタリカの太平洋岸ディキス地方のジャングルを伐採中、200個を越えるおびただしい数の球体が見つかった。大きさはさまざまで、直径わずか2cmのものから、最大で直径2.6m、重さは実に25トンにも及ぶ。
この石球がすごいのは、すべてがほぼ真球に近いというところである。直径の誤差は最大でもわずか0.2%。しかも、直径2006.6のものが1/100レベルで、誤差が全くない球体が2つも発見されている。
この石球の材質は、ほとんどが花崗岩(かこうがん)。花崗岩は硬度が高く、その辺にある簡単な道具ではこれほど滑らかに加工できないという。石球を造ったのは紀元後4世紀から9世紀のディキス石器人とされているが、彼らはせいぜい銅やヒスイの工具程しか知らなかったらしいのだ。
それならば、どうやってこの石球を造ったのか。はたまた、何のために造ったのか。太陽系の惑星をかたどったものではないか…などの説もあるが、定かではない。
バールベックの巨石
中東・西アジアのレバノンにある宗教都市バールベックの遺跡には、世界最大を誇る巨石が複数あるという。まず、この遺跡の象徴でもあるジュピター神殿の土台として使われている、「トリリトン(驚異の三石)」と呼ばれる3つの巨石である。この三石の大きさは、長さ18m、高さ・幅4m、重さ650〜970tにおよぶ。人力で計算すると1万5千人の人間が必要であるが、それだけの人間の力をまとめて石に働かせるのは現実問題として不可能であるとされている。
さらに、この神殿と石切り場の中間程にある「南方の石」といわれている巨石は、神殿から1km離れた場所にあり、建築物には使われていないものの切石としては世界最大規模とされる。その大きさは、長さ4.3m、幅4.6m、長さ21.4m、重さ1200t以上もある推測。
計算上では、3万2000人の力があれば動かせるといわれているが、実際には牽引する道具や人の配置などから移動は不可能だとされるという。また、石切り場からはこの巨石を切り出した後が見つかっており、何らかの方法で移動させたことは事実である。
ちなみに、NASAがロケットを移動させる際に使用する最高の重機をもってしても、つり上げ可能な重量が700tまでであるため、この巨石を持ち上げる事が出来ないという。
ロゼッタ・ストーン
ロゼッタ・ストーンは、1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のピエール=フランソワ・ブシャール大尉によってエジプトの港湾都市ロゼッタで発見されたという。
1801年、イギリス軍がエジプトに上陸してフランス軍を降伏させ、それ以降イギリスの手に渡ったそうである。
ロゼッタ・ストーンは、縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg、古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩でできた石柱の断片の一部であり、プトレマイオス5世のため紀元前196年にメンフィスで出された勅令が刻まれている。後にロゼッタで行われた調査では、石柱の残りの部分は見つかっていない。
この碑文は三つの文字、すなわち古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシャ文字で記述されている。