織田信長や徳川家康は男を愛した?ゲイのウワサがある歴史上の人物まとめ【空海・井原西鶴・松尾芭蕉】

織田信長や徳川家康など、誰もが知っている歴史上の人物。彼らの中には、男性を愛する「ゲイ」のウワサがある人もいるようです。冒頭に挙げた2人以外にも、空海や井原西鶴、松尾芭蕉あたりが有名でしょうか。他にもいろいろいるので、この記事でまとめました。現代よりも昔のほうが遥かに同性愛に寛容だったみたいですね。ちょっと意外。

空海

唐から日本へ衆道を持ち込んだという説の根強い、ニッポン衆道の元祖・弘法大師。鎌倉末期の随筆『徒然草』にも、54段に「御室の稚児を誘い出す法師」として描かれている。

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藤原頼長

平安院政時代の左大臣。日記「台記」には自らの男同士でのエッチの感想や、白河院・鳥羽院の男色エピソードまで書いてる。当時の貴族達が、せっせと男色に励んでいたことを記録している。

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後白河法皇

お気に入りは藤原信頼と藤原成親

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後鳥羽天皇

遊ぶのが大好き
乱痴気騒ぎが趣味
近くに美形ばかりを集めて遊びまくっていた
藤原定家なんかは「裸踊りが始まると、うんざりしたよ」とまで言った

お気に入りは源通光や藤原秀能などなど

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足利義満

安土桃山時代の雅な将軍は生涯、能役者・世阿弥を愛し、世阿弥もこれに応えた。

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織田信長

小姓・森蘭丸との仲は、やおい好みの史実としてあまりにも有名。前田利家も少年の時分は信長御秘蔵だったが、大人になって信長に捨てられた。

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武田信玄

「唐甲陽軍鑑」などによると家督直後の数年間に信玄は男色に耽りすぎて「仕事しろ」と家臣にたしなめられた。確かな史料としては天文十五年と推定される七月五日付の春日源助宛の「アイツとは寝てないよ、オマエだけだよ~」というラブレターが残っており(「史徴墨宝」)、その中で「弥七郎とは、もうヤリません」と誓っている。

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上杉謙信

敵に塩を送る清廉な勇将というイメージの謙信。「生涯、女犯はしない」と誓願を立てて妻を娶らなかったのですが、美貌の小姓を常にはべらせていたとのこと。直江兼続がお相手としては有名。

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伊達政宗

寵童・作十郎の浮気疑惑に取り乱した正宗。作十郎からの「浮気なんてしてません!」という血判状を見て、「この間は、疑ったりしてゴメンネ。酒も入ってたし、こんなに怒るとは思ってなかったし。作十郎が血を流そうとしているときに側にいたら、ゼッタイ止めたと思う。ごめんね。みんなの目もあるから、こっそり手紙を送ります」という「ごめんね・レター」を送ったのが遺っています。

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徳川家康

鷹狩りの最中に、めっちゃ美少年だった井伊直政にヒトメボレ
小姓にして、重宝しました
若くして徳川四天王にまで出世したのでした

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徳川家光

家光は風流踊という美少年の踊りが大好き
伊達政宗は自分とこの美少年を選んで、家光の前でダンスさせたりしました
家光はかなりご満悦

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松尾芭蕉

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