運動会の手つなぎゴールは都市伝説?噂の内容や広まった理由をまとめてみた

運動会の「手つなぎゴール」についてまとめました。運動会の徒競走で足の遅い子が嫌な思いをしないよう、足の早い子らがゴール手前で立ち止まり全員揃ったら手をつないで一斉にゴールするというもの。言葉は認知されているものの実際に行っている学校が見つからず、都市伝説ではと囁かれていました。ここではラジオ番組『たまむすび』で調査された内容や、新聞記事やネットで見つけた情報を紹介していきます。

ja.wikipedia.org

九州では1990年前後に「手つなぎゴール」が行われていたという新聞記事

「差別につながる」と、運動会のかけっこで順位を付けない。手をつなぎみんなでゴールする—。

一九八〇年代から九〇年代にかけ、九州の小中学校でそんな現象が起きた。その「思想」は今も一部引き継がれている。

出典: www.nishinippon.co.jp

2005年12月29日 西日本新聞朝刊記事。
「そんな現象が起きた」の中に、「手をつなぎみんなでゴールする」がある。

ただし、特にその後の文章で「手をつなぎみんなでゴール」の詳細は書かれていない。

2000年前後の保守系雑誌・機関誌に「手つなぎゴール」批判

[Sapio, 第 10 巻、第 8~14 号 1998年]
130 ページ
のはどうしてでしょう

たけし 子供のサッカ—教室で、コーチに贈り物をして自分の子供をレギュラーにするつて話を聞いたけど、最低だね。今、運動会でも競走しないでみんな手をつないで走りましない。じゃあ、大人になってもみんな手をつで、全員が東大に入って、全員が高級官僚になれるかっていえば、そんなわけない。必ず選択されるわけでね。そういう勝負の联は子供のうちから知つておかないだと思うね。親が「うちの子がかわいそう」なんていつても、そういう子たちはいざ本当の勝負のときには上がれない。外国の選手みてると、この人たちはもつと厳しいところで生きているな、つて思うもの。

出典: books.google.co.jp

未確認ながら、小学館『Sapio』別冊『Sports SAPIO ワールドカップ特集号』(1998年)での、ビートたけしとラモス瑠偉の対談記事のようだ。

「今、運動会でも競走しないでみんな手をつないで走りましない。」

1998年の教育 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/1998%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2

[日経ビジネス 第 1048~1055 号 2000年]
403 ページ
こんな「甘えの構造」の積み重ねが、今の教育の; ^を招いたのだと思レ、ます。孫力《通っていた幼稚園の運動会の徒競走では、園児たちはゴール前で横に並び仲良く手をつないでゴールしていました。敗者を出さないとの趣旨なのでしようが、無差別悪平等でしか .

出典: books.google.co.jp

日経BP社の雑誌『日経ビジネス』2000年7月3日号(1048号)から2000年8月28日号(1055号)まで。
2000年7月17日号(1050号)辺りの記事に、「孫が通っていた幼稚園の運動会の徒競走では、園児たちはゴール前で横に並び仲良く手をつないでゴールしていました」とある。
幼稚園で行っていたのを実際に見た、という記事となっているようだ。誰の記事なのか、原本未確認。

[正論 第 10~12 号 2000年]

190 ページ
「競走」を忌避する教育 える一部教師の提唱で、競走などを廃止したり、廃止しなくてもスタートラインに差をつけたり、速い子をゴール前でわざわざ立ち止まらせて、遅い子とお手々つないでゴールインといった馬鹿げた運動会をやっている所があるが、この保育

出典: books.google.co.jp

産経新聞出版の雑誌『正論』。 Googleブック検索では文章が崩れているが、修正。原本未確認。前文を調べると、当時話題だった品川区立中延保育園での運動会廃止問題に絡めたコラムっぽい。

日本共産党品川区議団 -区立保育園の運動会廃止問題-
http://www.jcp-shinagawa.com/report/08/20001020_01.htm

191ページには「勉強のできる子どももいれば駆けつこの得意な子もいる。それぞれの特質を認めてやることこそ「個性の尊重」ではないのか。それを「お手々つないでゴ1 ルイン」を強制するとは、」ともある

[月刊自由民主 第 580~585 号 2001年]
49 ページ
した平等ということ、公平ということをあまりにも強く意識しすぎたからです。したがって、ぼ〃の競争で、九十パまでは突力で走らせ、^後はお手々をつないで一緒にゴールするようなことになつてしまった。私が子供ころには、優等赏があり、努力賞があり、運動会で

出典: books.google.co.jp

自民党の機関誌『月刊自由民主』2001年。 Googleブック検索では文章が崩れているが修正。「手つなぎゴール」批判の論文が書かれているのかと。自民党議員が国会質問に「手つなぎゴール」を使い始めた年。

産経の「正論」路線が世論を牽引
いまの日本、変なことが多い。例えば小学校の運動会。徒競走は一等もビリも区別なし。「平等」と「悪平等」がゴッチャにされ、徒競走の意味を無くし、健全な競争も悪者扱い。日米ガイドラインもそう。これを口にすると、「軍国主義」のレッテルを貼られる。国の安全保障は考えなくていいのか?そろそろおためごかしの外套を脱ぎ去りましょう。
産経新聞の雑誌「正論」は、自由と民主主義を守るために、おかしなことはおかしいとはっきりモノを言うオピニオン誌です。創刊25周年(平成10年)。苦闘の時代を乗り越えて、いまやトップの座を争うまでに読者の支持を得ています。
http://www.sankei.co.jp/pr/guide99/html/guide17.html

出典: www.asyura.com

リンク先はアーカイブにも残っておらず未確認状態だが、2000年の産経新聞の宣伝文みたい。
「手つなぎ」ではないが運動会の徒競走批判。

産経新聞は同年に、大阪府豊中市の「順位をつけない」教育への批判キャンペーン記事を張る。

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文教都市の虚像・豊中の教育
平成12年11月14日から11月23日まで6回にわたって産経新聞に連載されました。
http://www5.plala.or.jp/ysk/kimigayo-toyonaka.htm
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国会で2001年から頻繁に批判された「手つなぎゴール」

国会では、1998年の共産党議員による質疑後も、たびたび「手つなぎゴール」の件が批判的に取り上げられている。
議事録検索サイトで「運動会 ゴール」で検索した結果をまとめた。2001年に当時の町村文科相が繰り返し「最近は、手つなぎゴール」を拡散していることが分かる。

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1998年9月24日 参院文教科学委員会 林紀子(共産)「(広島県の)三次、庄原、福山といった市の小学校。みんなが一緒に手をつないでゴールしましょう、行われている」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/143/1150/14309241150003c.html

2001年2月8日 衆院予算委員会(森内閣) 町村信孝文科相「それが今行き過ぎて、ややもすると、機会の平等ではなくて、結果の平等をどんどん追い求める、そういう面が大変に強くなり、そのことが社会全体のみならず、教育界にも非常に多いわけですね。違いを認めない。ですから、よく漫画的に言われますけれども、徒競走に、昔は私も足が速かったから、一番になって鉛筆の一本ぐらいはもらったんですが、最近は、ゴール前三メートルのところでみんな手をつないで一緒にゴールインをする。どうしてか。差をつけてはいけない。こういう人と違いがあることがいけないことだという風潮が、実は非常に教育現場に蔓延をしておりまして」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/151/0018/15102080018002c.html

2001年2月19日 衆院予算委員会(森内閣) 森田健作(無所属)「過日、予算委員会で町村大臣がおっしゃいました。用意ドン、みんなぱあっと走った、さあゴール前になった、みんなで手をつないでヨイショとゴールインする。これはおかしいですよね」
森喜朗総理「町村さんから、たしか結果の平等ということをおっしゃったと思いますね。最近ではやはり、結果平等であればいいんだということがどうも前面に出過ぎたのではないかな。だから、走るところまでは一緒で、ゴールに入るときは一緒だ、こうなるんですね」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/151/0018/15102190018008c.html

2001年2月27日 衆院文教科学委員会(森内閣) 渡辺博道(自民)「現在の学校の状況を見ますと、個性重視、個性重視と言いながらも、例えば運動会においては、徒競走において一緒にゴールに着こうとか、こういったいわゆる平等主義、間違った意味の平等主義が余りにもはびこっているのではないか」
鎌田さゆり(民主)「先ほどもお話に出ました、運動会ではとにかく子供たちに勝敗の差をつけて傷つけたくないという、これは全く誤った心配りだと思うのですね。全員が手をつないでゴールに行って、全員一緒に一等賞。あるいは学芸会に行けば、主役のシンデレラの役の女の子がぞろぞろぞろぞろ、十人もそれ以上も出てくるのですね。、学校の教育の現場で、ゆとり教育とあわせてなんでしょうか、競争というものが、いかにも競争悪、受験戦争、受験競争に代表される競争というものが競争悪かのようにして、どんどん排除されていっている。」
河村建夫(副大臣)「私は山口県ですから、山口県でも、私の周辺にはそういうことはございませんでしたが、御指摘のような運動会がかつてあったそうであります。まだそういう県が少しはあるように聞いておりますが、」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/151/0096/15102270096003c.html

2001年3月9日 衆院文部科学委員会(森内閣) 山内恵子(社民)の「今回の教育改革は競争原理の導入では」との質問の町村信孝文科相「いたずらに競争をあおることは、それはよくないかもしれません。しかし、よく漫画的に言われているように、運動会で、徒競走でゴール前三メートルでみんな手をつないで一斉にゴールインする。なぜか。子供に一等賞で喜びを与えてもいけないし、六番目になって負けたという屈辱感を与えてもいけない、みんな等しい方がいいんだという、まさに結果の平等までを求めた、僕は最悪の学校における行動だと思うのですよ。そういう目で見ていくと、そういう結果の平等までを追い求めることが余りにも学校現場で多過ぎるんです」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/151/0096/15103090096005c.html

2001年3月22日 参院文教科学委員会(森内閣) 本岡昭次(民主)「『戦後教育の欠陥』という言葉を撤回しては」という質問に町村信孝文科相「しかし、例えば、これもよく言われておりますけれども、学校の徒競走、運動会でゴール前で一斉に手をつないでゴールインする、これは結果の平等だ、子供たちに差別をしないように、みんな平等なんだからゴールインも平等にした方がいいとか、あるいはこれは衆議院の文部科学委員会で出た話でございますけれども、ある委員からは、シンデレラの主役を演劇会で四幕全部かえていく、みんなが主役がいいんだと。そういう確かに考え方があるのかなと思ってびっくりいたしましたけれども、例を挙げれば枚挙にいとまがない」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/151/0061/15103220061003c.html

2001年6月25日 参院文教科学委員会(森内閣) 松村龍二(自民)「今度は表面的には競争させまい、皆さん、運動会で百メーター走ったらみんな手をつないで一緒にゴールインして、みんな一等賞というふうにしようということがあながち冗談でないようにも聞こえるような学校の現場があるのではないか」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/151/0061/15106250061014c.html

2001年11月27日 参院文教科学委員会(森内閣) 森ゆうこ(自由)「実際私も子供を育てているときに、例えば劇なんかをやるときに、赤ずきんちゃんとオオカミさんだったら、オオカミが五人いるとか、赤ずきんも二人いるとか、それから百メートルの五十メートルまでは競走して、最後はみんなで仲よく手をつないでというのも実際に見ています。」
藤田英典参考人「赤ずきんちゃんやあるいは五十メートル走とか、これも私も本の中でも書きましたけれども、明らかに行き過ぎたといいますか、不当とも言えるような平等主義とか一律の扱いということをやっていたことは事実ですよね。こういう傾向が強まったのは、一九七〇年代の後半ぐらいから徐々にそういう傾向が出てきたわけです。
例えば、それの背景といたしましては、高校入試におけるさまざまな内申書重視の方針でありますとか、いろんなことが強まる中で、公平性なり何なりを求める親御さんやさまざまな圧力があったというふうに思いますから、この問題はなかなか難しいと思いますが、徐々に変わってきていると思います。五十メートル走で、四十メートル一生懸命走った、あとは仲よく手をつないでゴールインなんということを今やっている学校はどんどん少なくなっていると思いますから、こういうのこそマスコミやあるいは保護者の方々や地域の人たちがどんどん学校を変えていくべきであります。」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/153/0061/15311270061004c.html

2002年11月28日 衆院憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会(小泉内閣) 苅谷剛彦参考人「よく例にとられるのは、教育の世界だと、運動会でゴールにたどり着くときに、みんなで手をつないで、競争状態じゃないということを指して結果の平等だというわけですね。これは確かに、日本の組織の問題、日本の文化の中で問題だと思います。」
今野東(民主)「運動会で、手をつないでみんなゴールしてくるという、同じような姿を、私も、公立の幼稚園の学芸会というんでしょうか、お楽しみ会というんでしょうか、ああいうところで見たことがあります。白雪姫の芝居をやっているんですが、白雪姫の主役が何人も何人も出てまいりまして、結果、たとえせりふの少ない役でもよくやったと子供を励ますという、親の子を励ます機会を奪っているのだなとそのときに改めて思ったんです」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/155/0107/15511280107001c.html

2003年3月25日 参院文教科学委員会(小泉内閣) 有村治子(自民)「一部の学校では、運動会の駆けっこでゴール前に手をつないでみんなで一緒にゴールをして順位を付けないようにする。今でも言われて、今でも実践されていると理解していますが、競うという現実を教えない、勝ったり負けたりを繰り返すなどする中で勝負ということについてのより現実的な認識を持てるようにする教育をしないというのは、私はこれは欺瞞だと思います」
遠山敦子文科相「今、学校で駆けっこをして一等、二等という順位を付けないという学校はそれほどはもうないとは思いますけれども、しかしそういうことが現実にあったという背景には、私は、日本の学校において余りにも結果における平等ということにこだわり過ぎたのではないかなと思います」
有村治子(自民)「私自身も、感覚で申し上げているんではなくて、みんなでゴールイン、駆けっこしてゴールインするというのはかなり少なくなったというふうに理解しておりますので、今コメントをいただいて本当に有り難く思いました」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/156/0061/15603250061003c.html

2004年3月2日 衆院予算委員会第四分科会(小泉内閣) 河村建夫文科相「よく例とされて、例えば運動会においても、スタートして、最後のゴールのときには一緒に手をつないでゴールしろとか、こんなことが現実に教育現場であったということが指摘されておるわけでございます。このような画一的な過度の平等主義といいますか、そういうものがやはり人間の個性というものを失わせたといいますか、まさに時代に対応できなくなった」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/159/0034/15903020034002c.html

2004年4月23日 衆院国土交通委員会(小泉内閣) 前原誠司(民主)「その大きなプールになった高速道路保有・債務返済機構が、四十五年間、その民間会社、せえので合わせて、このごろの小学校の運動会みたいに、みんな手をつないで、せえので四十五年目にゴールインするわけですよ」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/159/0099/15904230099017c.html

2006年2月28日 衆院予算委員会(小泉内閣) 町村信孝(自民)「私は、文部大臣をやっていた経験でいうと、よく漫画チックに言われますけれども、徒競走をやると、ゴール前五メートルで速い子も遅い子もみんな手をつないで同時にゴールインする。これは本当に冗談みたいな話ですが、いっぱいあるんです、そういうことが」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/164/0018/16402280018019c.html

2006年3月22日 参院経済産業委員会(小泉内閣) 二階俊博経産相「耳障りのいい言葉でありますが、全部平等で、運動会でも並んでゴールインをするということがいいんだなどということが笑い話のように今伝えられておるところでありますが、やはり当然競争、切磋琢磨があってしかるべきでありますから」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/164/0063/16403220063003c.html

2006年3月30日 参院文教科学委員会(小泉内閣) 大仁田厚(自民)「今行われている、ほかの学校で行われている、ゴール前に手をつなぐ、手をつないでゴールインする、これについてどう思われますか、大臣」
小坂憲次文科相「それでは競争の意味がない。人生の中での切磋琢磨ということを体験させる意味からは余り好ましい方法ではないと思います。ただ、その学校の状況等があって、非常にお互いに競い合うことが過剰になったのでそういう方法を取り入れるのなら、それは一つの方法かもしれません」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/164/0061/16403300061006c.html

2006年11月9日 衆院教育基本法に関する特別委員会(安倍内閣) 坂口力(公明)「運動会でも、手をつないでゴールインするのもいかがなものかと思いますけれども、」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/165/0158/16511090158009c.html

2006年11月22日 参院教育基本法に関する特別委員会(安倍内閣) 安倍総理「よく結果平等の典型的な例として、例えば徒競走をして、最後は全員が手をつないでゴールするということが実際に行われていたということでございますが、」
佐藤泰介(民主)「よく徒競走の例を出されるんですけれども、現場を見られたんでしょうか、書物で読まれたんでしょうか。総理あるいは文科大臣が現場にお出掛けになったことは、今までこの教育基本法改正を論ずる中で直接現場を見られたことが、四人の大臣の方にお伺いしますが、現場を見られてそう言われたのか。とりわけ徒競走、最後手をつないで入ろうなんて、僕はやったことがありませんし見たこともありませんし、当然それぞれの工夫がされると思いますが、多分それをやれば保護者から相当な異論が出ると私は思っていますよ。 いつも、小泉内閣以来、結果平等か何とかかんとかって出てくる例が毎回手をつないでゴールですよ。そのほかに例はないんですかね。それを見られたんですかね。四方にお聞きします。」
安倍総理「今のその徒競走の例については、私はたしか新聞等で読んだ記憶がありますが、現場でそれを目撃したということではございません」
伊吹文明文科相「総理がおっしゃったように、私も新聞でそういうことがあるということを読んで、面白いものだなということを感じた記憶はございます」
塩崎恭久官房長官「私も現場で手をつないでゴールインしたというのは見たことはございませんが、話はいろいろなところで聞いたことがございます」
高市早苗少子化大臣「私が見た徒競走は、手をつなぐ形式ではなくて、ゴールの直前まで当然速さに差は付いているんですが、結局、順番を付けなかったといったものでしたら見たことがございます。一等賞から何等賞というような形で順番を付けずに、はい、それで終わりといったものでございました」
佐藤泰介(民主)「これから、その結果平等、手をつないでゴールインというのはやめていただけませんか。どうですか」
伊吹文明文科相「例として適切ではなければ、私が見たことを正確にこの次はお伝えしたいと思います」
安倍総理「実例に即した方がいいという委員の御指摘でありますから、実例に即した説明にするべきであろうと、このように思います」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0091/16511220091001c.html

2008年11月13日 参院文教科学委員会(麻生内閣) 義家弘介(自民)「例えば、以前ちまたで話題になった運動会では順位を付けないとか、みんなで一緒にゴールをするとか、そんな話の中で、みんなで一緒にゴールするというのは私、実は見たことないんですけれども、順位を付けないということはよくある話」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/170/0061/17011130061002c.html

2013年10月22日 衆院予算委員会(安倍内閣) 平沼赳夫(維新)「やはり今の日教組のあり方や教育委員会のあり方、例えば、残念な話ですけれども、百メートルの徒競走をすると、一番の子も足踏みをしてゴールの前で待っていて、びりの子供が来るまで待っていて、横に手をつないで一列で入る。子供に優劣をつけちゃいけない、こんな教育がまかり通っているわけであります」http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/185/0018/18510220018003c.html

2015年11月11日 参院予算委員会(安倍内閣) アントニオ猪木(元気)「前から質問しようと思っていたんですが、ゆとり教育ということで、ゴールするときにみんなが手をつないでゴールするという、大分前の話だったと思いますが。そのときに私もいろんなところからインタビューを受けて、どう思いますかと。ばかやろうと、それこそどなったことを思い出しますが。」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/189/0014/18911110014001c.html

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2000年台前半に、教育改革の議論の際に平等教育への批判として大いに利用された「手つなぎゴール」は、2006年に民主党佐藤泰介議員により「実際に見たのか。そうでないなら事例として挙げるな」という質問がなされたことで、その後は影を潜める。それ以降に国会で言及した3議員のうち、自信満々で「ある」と言っているのは維新の平沼赳夫氏だけだった。

2000年辺りに活発化した「手つなぎゴール」批判

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「手つなぎゴール」は、2000年前後にメディアで注目され、2001年に町村信孝文部科学大臣が国会で頻繁に取り上げると、「日教組批判」「ゆとり批判」の象徴のようになってしまった。

ただし、「ゆとり教育」のピークは2002年ごろ。

ゆとり教育 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2
Category:各年の教育 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%90%84%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2

「ゆとり」を推進する立場のはずの文部科学大臣が、その施策のまっただ中に「手つなぎゴール」を「ゆとりの象徴」として批判するのはおかしい気がする。「手つなぎゴール」はずっと以前から「平等教育か競争教育か」という問題で議論されていたことで、「ゆとり」とは本質的に関係ないはずだろう。教育史の専門家解説が求められる。

「ゆとり教育」は、2006年に第一次安倍内閣で見直しが叫ばれ、その後、終了する。安倍総理は国会で「手つなぎゴール」を引用するが、民主党議員が「実在が確認できない」と追及し、以降、国会やメディアから「手つなぎゴール」の話がほとんど出なくなっていく。そして、世間の噂でしか残らなくなり、あやふやな記憶を「ゆとりの象徴」と勝手に思い込んでしまっただけなのではないだろうか。

TBSラジオの『たまむすび』では小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』が「デマの元凶」かのように扱われていたが、ゴー宣で最初に取り上げたのが2002年だとすると「手つなぎゴール」の拡散とは何ら関係ない。既に十分拡散されていた話を単に小林が取り上げただけだ。実際に「ゴー宣」の該当部分を読んだが、あんな小さい一コマの描写で全国に話を広げる影響力はない。これも「ゆとり世代は手つなぎゴール」と同じ、あやふやな記憶を元にした都市伝説と言えるだろう。(もしかしたら90年代に描いた単行本未収録の「手つなぎゴール」原稿はあるのかもしれない)

間違ったイメージ付けとなった要因は、漫画なんかよりもテレビ放送の影響力のほうが格段にあると思うので、そっちの記録の調査が待たれる。「順位をつけない運動会」の今までのテレビ放送をNHK、民放の過去番組から調べれば、過去の「手つなぎゴール」の放送内容から、その浸透度の広がり具合やイメージの変化が分かるかもしれない。週刊誌報道も、大宅壮一文庫なんかで調べれば雑なイメージを読者に植え付けるような記事がもっと見つかりそう。

最後に、『たまむすび』では「ほぼ都市伝説で決まりだろう」と結論づけていたが、「手をつながないがゴール前で止まって一斉にゴール」はあったという証言は出ている。「幼稚園では手をつないで一斉にゴールした」もある。そんな中、「平等か競争か」という議論で引用される「手つなぎゴール」について、「手をつないでないからデマだ」「小中学校の話でないからデマだ」というのは、議論から遠ざかる話ともなるので慎重さが必要だろう。

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