壮絶すぎる…サヘル・ローズの半生まとめ
バラエティー番組などでタレントとして活躍しているサヘル・ローズは明るい笑顔が印象的だが、実は壮絶な半生を送っている。ここでは日本で生まれ育った人には想像もつかない、サヘル・ローズの半生を紹介する。
サヘル・ローズは、1985年、イラクとの国境近くの町で11人兄弟の末っ子として生まれた
当初は養子に引き渡される予定でいたが、養子に出されずそのまま暮らすことになったという
土を塗り固めて乾燥させただけの家に両親と合わせて13人で暮らしていました
父は大工をしていたが、手間賃では13人家族は養い切れず、その日食べるものを兄姉で奪い合うような日々だったそうです。
戦火によって突然、全ての家族を失ったサヘル・ローズ
毎日空襲警報におびえていた1989年2月下旬の夜。イラクによる大規模な空襲が行われ、町の住民400人がほとんど死亡した
彼女が4歳のとき、当時イランイラク戦争中で、境界線でサヘルの住んでいた村を取り合っていたという。
テヘランから遠く離れた町で大規模な空襲があったという情報が病院に入り、医師・看護師・救急隊員たちが現場へ入った
そして4日後、当時大学生でボランティアの救助活動を行っていた、フローラ・ジャスミンが、瓦礫の中からサヘルを発見した
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がれきの中に小さい手が見え、人形の手だと思ったらサヘルの手だったという。
4歳にして、サヘルはイラン・イラク戦争により全ての家族を失った
孤児となったサヘルを引き取った、ひとりの女子大生
体調が回復すると、戻る家庭のないサヘルは孤児院へ送られることになる
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しかしサヘルを救助したボランティアの女子大生、フローラが数ヵ月後、サヘルを引き取った
サヘルを見舞った際に幼いサヘルが自分を「お母さん」と呼び慕ったことから、サヘルを引き取ることを決意したのだという
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ちなみにサヘルの本当の生年月日や名前は分からず、サヘル・ローズという名前は、後に付けられたという
サヘルという名は祖母が、そしてローズという名前はバラを育てるのが好きだったフローラがつけてくれたのだという。
一族からの追放~そして日本へ
非常に高い身分であったフローラの実家は、孤児であるサヘルを養育することを「家柄に傷がつく」として猛反対
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結局フローラの実家からの援助はなく、2人で餓えを忍ぶ生活が始まった
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その後、一族から追い出された母は、日本に来ていたフィアンセと電話で相談。サヘルと一緒に来日することになった