超一流野球選手の記念館まとめ!イチロー、松井秀喜、ダルビッシュ有も

ここでは日本の野球史にその名を残す、超一流野球選手の記念館・ミュージアムを紹介する。イチロー、松井秀喜、ダルビッシュ有など、日本に留まらず世界で活躍した選手の記念館が建てられている。

日本全国にある、プロ野球界のスーパースター、イチロー、松井秀喜などの足跡がわかる記念館、ミュージアムのまとめ

☆「I-fain」 イチロー記念館

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イチロー

NPB・MLBの双方で活躍。MLBのシーズン最多安打記録や10年連続200安打などの多数の記録を保持している。「走攻守三拍子」全てにおいて非常に高い評価を得ているオールラウンドプレイヤーであり、アメリカにおいても(メジャーとしては)非常に遅い年齢でのデビューながらも走攻守すべての面で数多くの記録を打ち立ててきたことにより、将来の野球殿堂入りが確実視されている

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・アイ・ファインのコンセプト

将来の夢に向かってがんばっている子供達に…
イチローの軌跡を見てほしい。
そして、持っている夢を
もっともっと大きくふくらませて欲しい…。
そんな期待をこめて、この展示ルームを公開します。
自分の夢は自分の努力と力でかならず叶う!
夢は夢でおわらないんだ。

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☆松井秀喜 ベースボールミュージアム

松井秀喜

1990年代から2000年代を代表する長距離打者で、日本プロ野球時代は読売ジャイアンツ、メジャーリーグではニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した。2013年に国民栄誉賞を受賞。愛称は「ゴジラ」。日本シリーズMVPとワールドシリーズMVPを共に受賞した初の選手。
NPB時代のタイトル
首位打者:1回 (2001年)
本塁打王:3回 (1998年、2000年、2002年)
打点王:3回 (1998年、2000年、2002年)
最高出塁率:3回 (1998年、2000年、2002年)

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☆落合博満 野球記念館

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落合博満

落合 博満(おちあい ひろみつ、1953年12月9日 - )は、秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。
現役時代は日本プロ野球史上唯一となる、三度の三冠王を達成。2004年から2011年まで中日ドラゴンズ監督として指揮を執り、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一に輝いた。

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落合博満野球記念館(おちあいひろみつやきゅうきねんかん)は、和歌山県東牟婁郡太地町にある、プロ野球選手・落合博満のプロ野球個人記念館。日本初のプロ野球個人記念館である。
もともとは落合個人の別荘であり、
現在でもシーズンオフには落合一家が滞在する時期もある。
1993年12月に開館。記念館は落合博満の背番号「6」にちなんで六角形に設計されている。喫茶店からは熊野灘を一望できる。

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☆稲尾和久記念館

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稲尾和久

稲尾 和久(いなお かずひさ、1937年6月10日 - 2007年11月13日)は、大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)・監督、野球解説者・評論家。1957年にプロ野球記録となるシーズン20連勝を記録するなど35勝を挙げ、史上最年少でのリーグMVPに選出。1958年には33勝で史上初の2年連続MVPを獲得。優勝時の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが踊った。プロ入りから8年連続で20勝以上を挙げ、「鉄腕」の名をほしいままにした。

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別府市民球場建設中の2006年10月18日に、別府市出身でかつて西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の黄金時代に「鉄腕」と称されエースとして名を馳せた稲尾和久の功績を伝えるため、市内の政財界関係者が、市に対して球場の愛称を“稲尾記念球場”とし、場内に稲尾に関する資料施設の開設を働きかける「稲尾記念館推進委員会」が発足した。同日、別府市の名誉市民でもある稲尾は浜田博市長と会談した後「記念館で観光客を呼び、故郷に恩返しをしたい」と想いを語り、また福岡県福岡市の自宅に所蔵していたユニフォームやトロフィーなどについても「墓に持っていける物ではない。後世に残し、野球への情熱につながれば男冥利に尽きる」と市に寄附する意向を示し、市もこれを受けて資料施設の開設を決定、設置費用の一部は地元有志からの寄附の他、市民からも募金を募って賄われることになった。

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☆王貞治 ベースボールミュージアム

王貞治

王 貞治は、日本生まれ、中華民国籍の元プロ野球選手、監督。「世界の本塁打王」、「世界の王」とも呼ばれる。シーズン公式戦通算本塁打868本は日本プロ野球記録であり、現役時代に当時のメジャーリーグ本塁打記録のハンク・アーロンの755本を抜いた事で知られる。その他数々の日本プロ野球記録を保持する。初めて日本の国民栄誉賞を受賞した人物であり、2010年には文化功労者として顕彰された。第1回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の優勝監督でもあり、第2回大会では監督相談役を務めた。

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当施設は、野球人・王貞治を題材とした日本初の施設であり、人々を熱狂させた国民的英雄「王貞治」の時代背景や輝かしい記録、そして、その裏側に隠された不断の努力というドラマを、貴重な展示品や映像資料を通じて感じてもらうことで、来館者の皆様に「野球」の魅力を深く理解して頂けるものと考えております。

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☆星野仙一 記念館

星野仙一

星野 仙一(ほしの せんいち、1947年1月22日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手、プロ野球監督、野球解説者。現役時代のポジションは投手。1974年には初代最多セーブのタイトルと沢村賞を獲得するなど、巨人のV10を阻むチーム20年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。優勝を決めた試合では、胴上げ投手となった。現役時代の通算成績は、146勝121敗34セーブ。星野は著書の中で「プロのピッチャーとしては200勝に到達できない二流の成績で終わったが、気持ちと気迫と気合いだけは誰にもひけをとらなかった思っている。」と記している。監督としては、「闘将」と称され、中日、阪神をリーグ優勝に導いた。

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