D'Angelo(ディアンジェロ)の徹底解説まとめ

ディアンジェロとは、1974年2月アメリカ生まれの歌手、作曲家、演奏家及びプロデューサーである。バージニア州リッチモンドにて宣教師の父の元に生まれた。幼少期からピアノを学び始め、18歳の頃にハーレムのアポロシアターのアマチュア音楽大会で3週連続勝利した。1995年にデビューアルバム「Brown Sugar」をリリースしてから2014年までに全部で3枚のオリジナルアルバムをリリースしている。2025年、膵臓癌との闘病の末、ニューヨークで死去。51歳没。

D'Angelo(ディアンジェロ)の概要

ディアンジェロ(本名:マイケル・ユージーン・アーチャー)とは、アメリカ合衆国バージニア州リッチモンド出身のシンガーソングライター、マルチ・ミュージシャンである。ペンテコスタルの宣教師の息子として生まれ、ボーカル、ピアノ、ギター、作詞作曲、プロダクションまでを自らこなす多才な才能を持つ。
1995年のデビュー以来、70年代のソウルとヒップホップの感覚を融合させた「ネオ・ソウル」というジャンルを確立した。マーヴィン・ゲイやプリンスから影響を受ける一方で、自身も多くのアーティストに影響を与える「ミュージシャンズ・ミュージシャン」としての顔を持つ。芸術性と商業性の両立において揺るぎない地位を築いており、来日公演では巨大ホールを満員にするほどの影響力を誇る。
ディアンジェロの曲は、時が立つと自然に変わっていく。それはバージョンが変わっているだけでなく、いろいろな形の音楽をファンに見せてくれるため、エンターテイメント性が高い。20年前のディアンジェロの音楽のことを今理解できていても、今ディアンジェロのやっている音楽は今の自分には理解できないかもしれない。しかし、10年、20年後には理解できているかもしれない。このように、いつまでも追っていたいとファンに思わせてくれるアーティストである。
2025年10月14日、膵臓癌との闘病の末、ニューヨークで死去。51歳没。

D'Angelo(ディアンジェロ)の活動経歴

生い立ち

ディアンジェロ、本名マイケル・ユージーン・アーチャーは1974年2月11日にヴァージニア州リッチモンドで宣教師の父の元に生まれた。彼はキリスト教の家族のもと育った。マイケル・アーチャーの音楽の才能は子供の頃から知られていた。3歳の頃には家でピアノを演奏しているのを当時10歳の兄に発見されている。Michael Archer and Precisというグループを組み、18歳になると学校を辞め、ニューヨークに移った。そして1991年にニューヨークのハーレムでアマチュアの音楽大会で優勝した。グループは地元リッチモンドでも注目を集めていた。当時はソウルミュージックのカバーやオリジナルソングを披露しながら、マイケルは作曲のスキルを磨いた。そしてグループはハーレムの音楽大会で3度連続で優勝し、賞金を得た。地元リッチモンドへ戻り少しの間ヒップホップグループ " I.D.U."のメンバーとして活動した。

1991–1995: Brown Sugar

Michael Archer and Precisでオリジナル曲を収録したデモテープによって注目を集めたのち、1991年にディアンジェロはEMIミュージックと契約と契約する。1993年にEMIの上層部によるオーディションで即興のピアノ演奏を披露した後、ディアンジェロはレコーディングの契約も勝ち取った。A&Rを担当していたゲイリー・ハリスは最初に彼の歌唱力に目をつけた。ケダル・マッセンバーグという男がディアンジェロのマネージャーになった。ケダル・マッセンバーグはディアンジェロのマネージャーになる前にステッツアソニックというヒップホップグループのマネージメントやアーティストマネージメントの団体を設立するなどの経験を持っていた。

1994年、ディアンジェロの最初の成功とも言えるシングル「U Will Know」がリリースされた。ディアンジェロはR&Bのスーパーグループのブラック・メン・ユナイテッドに「U Will Know」を彼の兄との共作ではあるが提供した。「ジェイソンズ・リリック」という映画のサウンドトラックにフィーチャーされ、「U Will Know」はR&B/ヒップホップシングルチャートで5位、ビルボードチャートで28位を記録した。ミュージックビデオではディアンジェロをグループのディレクターとしてフィーチャーした。同じ年に「Overjoyed」という曲をボーイズ・クワイアー・オブ・ハーレムというグループに提供した。シングル「U Will Know」の成功はディアンジェロの周りの環境を一気に変えた。

ファーストアルバム「Brown Sugar」は1995年6月にリリースされた。当初は売れ行きは芳しくなかったが、結果的にヒットした。ビルボードのR&Bアルバムチャートでは6位を記録した。1996年2月には4位まで上昇し、トータルで54週もチャートインしていた。「Brown Sugarは」通常のビルボードチャートでも65週チャートインし続け、最高22位を記録した。ビルボードシングルチャートで大ヒットした「Lady」を筆頭にした4枚のシングルの効果もあり、1995年10月時点でアメリカ国内で50万枚の売り上げを記録した。1996年2月にはプラチナムを獲得し、トータルセールスは150万枚から200万枚だと予想されている。

1996–2000: Sabbatical period and Voodoo

「Brown Sugar」のプロモーションツアーで2年ほど費やした頃、ディアンジェロは作曲家としてスランプに陥り、曲ができなくなってしまった。スランプに陥っている間は映画のサウンドトラックにプリンスやマーヴィン・ゲイのカバー曲を提供したり、ローリン・ヒルのアルバムにゲストヴォーカルとして参加した。

前作「Brown Sugar」リリースから4年半の歳月をかけ、2000年にようやくセカンドアルバム「Voodoo」をリリースした。「Voodoo」はメディアから"名盤"や"最高傑作"などと大変いい評価を得た。本作はアメリカビルボードチャートで初登場1位を獲得し、初週だけで32万枚売り上げた。ビルボードチャートには33週間連続でランクインし続けた。2005年までにアメリカだけで170万枚以上を売り上げている。2001年のグラミー賞でベストR&Bアルバム賞を受賞している。

「Voodoo」からは全部で5曲シングルカットされており、それぞれ好調な売り上げを記録している。特に3枚目にシングルカットされた「Untitled (How Does It Feel)」はヌードのディアンジェロが終始現れるミュージックビデオも話題になり、R&B界だけでなく音楽業界全体での注目を集めるきっかけとなった。このミュージックビデオはディアンジェロをセックスシンボルとしてのイメージを強く残した。

2001–2013: Second sabbatical, struggles and delayed album

アルバムリリースの2001年にプロモーションを兼ねてワールドツアーを行なっていたが、ツアー終盤に体と精神の調子を悪くし、パフォーマンスにも影響が出て来た。彼は自分自身がセックスシンボルとして見られていることを感じ、それを不快に思うようになった。ツアーが終わると活動拠点のニューヨークには戻らず、地元のリッチモンドに帰り、公の場に姿を見せないようになった。当時のディアンジェロのマネージャーはアルバム「Voodoo」や「Untitled (How Does It Feel)」のミュージックビデオによって作り上げられたイメージに悩んでいたことが姿を消した一因だと語っている。この時にはディアンジェロといえば"ヌードの男"というパブリックイメージが実際にあったと言われている。

近い友人が自殺してしまったことを発端に、ディアンジェロはアルコール依存症にも悩まされるようになった。ライブアルバムの制作も計画されていたが、アルコール問題がひどくなったために反故となった。さらにはこの問題はレコード会社も怒らせ、2004年に制作予定だったアルバムの制作費をすべて没収された。
2005年にはディアンジェロは彼女に別れを告げられ、弁護士には見放され、彼の親族も彼と連絡を取らなくなっていた。今までついていたマネージャーとも関係を絶った。この頃、ディアンジェロは自動車事故を起こし、その際にマリファナを所持していたことが判明し逮捕される。レコード会社からも解雇され、しばらくリハビリ施設に通うことになった。この頃はアルコールとドラッグの使用によって、「Voodoo」の時のような筋肉質な体は消え失せ、太ってしまっていた。その後、J・レコーズという会社なんとか契約をすることが叶い、ソロ作のリリースは出来なかったが、J・ディラ、スヌープ・ドッグやQ-ティップなどヒップホップやR&Bアーティストとコラボレーションを行なった。

「Voodoo」に続く作品はなかなか作ることが出来なかったが、ディアンジェロが尊敬するプリンスに習い全ての楽器を演奏して作品を制作するように模索し始めた。レコーディング・エンジニアを務めたラッセル・エレバードはパーラメント/ファンカデリック、ビートルズ、プリンスやジミ・ヘンドリックスを混ぜ込んだような音楽が出来ていた、と語っているが作品として完成せず、頓挫してしまった。

2007年にアメリカのプロデューサーのクエストラブがラジオでディアンジェロによる「Really Love」というタイトルのデモ音源を流すまで、新しい作品の情報は一切なかった。2008年6月には「The Best So Far…」という CD/DVDというコンピレーション作品をリリースした。
今作のCDには「Brown Sugar」と「Voodoo」のトラック、DVDには未公開の映像が収録された。

2011年11月にディアンジェロは突如、翌年2012年にヨーロッパツアーを行うことをアナウンスした。ツアーでは「Brown Sugar」と「Voodoo」の曲と完成間近と噂された新作に収録予定の曲が披露された。ツアーでは「Sugah Daddy」、 「Ain't That Easy」、 「Another Life」 、「The Charade」の4曲が披露された。2012年9月にはラッパーのJay-Z主催のフェスに出演し、「The Charade」と「Sugah Daddy」を披露した。

2014–present: Black Messiah

しばらく自身名義の作品のリリースがなかったが、2014年12月15日に待望のサードアルバム「Black Messiah」がデジタル配信でリリースされた。
発売前12日にはYoutubeに15秒のティザー広告、14日には2012年からライブで披露されていた「Sugah Daddy」がウェブで公開された。15日の発売日にはiTunes、Google Play Music、Spotifyでデジタルリリースもされた。リリースから1ヶ月した1月13日には「Really Love」がシングルリリースされた。本作はディアンジェロ・アンド・ザ・ヴァンガード名義でリリースされた。

「Black Messiah」はウェブの批評サイトMetacriticで100点中95点を獲得するなど、軒並み高評価を得た。ビルボードチャートでは初登場5位を記録し、アメリカではリリース1週目で約12万枚売り上げた。

2016年の第58回のグラミー賞で「Black Messiah」は最優秀R&Bアルバム賞と収録曲「Really Love」が最優秀R&Bソングを受賞している。最優秀アルバムにもノミネートされていた。

2015年1月、ローリングストーン誌のインタビューにて「Black Messiah」に続く作品を制作し始めていると語っていたが、膵臓癌との闘病の末、2025年10月14日朝にニューヨークで死去。51歳没。

D'Angelo(ディアンジェロ)のプロフィール・人物像

1974年2月11日、アメリカ合衆国バージニア州リッチモンドで宣教師の息子として生を受ける。幼い頃から歌に親しみ、ヴォーカルだけでなくピアノやギターの演奏、作詞・作曲からプロダクション全般までを自ら掌握する類稀なマルチな才能を備えていた。
多大な影響を受けた存在としてマーヴィン・ゲイやプリンスの名を挙げているが、ディアンジェロ自身もまた、多くのアーティストにインスピレーションを与える「ミュージシャンズ・ミュージシャン」として知られる。尊敬するプリンスとは対照的に寡作な歩みではあるが、客演や楽曲提供、カバー等の活動は多岐にわたる。
なお、本人は自らをR&Bシンガーと定義することに否定的であり、自身のルーツは常にヒップホップにあり、日常的にラップも嗜む真の音楽家としての矜持を持っている。

D'Angelo(ディアンジェロ)のディスコグラフィー

アルバム

『ブラウン・シュガー(Brown Sugar)』

01. Brown Sugar
02. Alright
03. Jonz in My Bonz
04. Me and Those Dreamin' Eyes of Mine
05. Shit, Damn, Motherfucker
06. Smooth
07. Cruisin'
08. When We Get By
09. Lady
10. Higher

1995年7月4日にリリースされたディアンジェロのファーストアルバム。
ヴィンテージ機材と最新機材の両方を用いて、演奏など制作のほとんど全てをディアンジェロ自身が務めている。
本作の歌詞は愛とロマンスというテーマを含んでおり、サウンドはファンクやヒップホップ、R&Bと伝統的なソウルミュージックが混じり合ったようなものとなっている。
本作からは4曲シングルカットされており、ビルボードチャートでは最高22位を記録している。

『ヴードゥー(Voodoo)』

01. Playa Playa
02. Devil's Pie
03. Left & Right
04. The Line
05. Send It On
06. Chicken Grease
07. One Mo'Gin
08. The Root
09. Spanish Joint
10. Feel Like Makin' Love
11. Greatdayndamornin' / Booty
12. Untitled (How Does It Feel)
13. Africa

2000年にリリースされたディアンジェロのセカンドアルバム。1998年から1999年にニューヨークのスタジオでレコーディングされた音源が収録されている。プロデュースはディアンジェロ自身が務めている。1995年にリリースされた前作「Brown Sugar」に比べ、グルーヴ感が強く、伝統的なファンクサウンドを踏襲している。
本作はスピリチュアル、愛、セクシャリティなどをテーマに扱っている。
ビルボードチャートでは初登場1位を獲得するなど大ヒットした作品となっている。本作からは5曲シングルカットされている。

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