Hi-STANDARD / ハイスタンダード / ハイスタ

『Hi-STANDARD』(ハイスタンダード)とは日本のパンクロックバンド。通称「ハイスタ」の愛称で親しまれており、日本においてその後のメロコアバンドやインディーズシーンに多大な影響を与えた。
1991年に結成。当初は別にリードボーカルがおり4人編成であったが、ボーカルの脱退に伴い難波章浩(Vo、B)、横山健(Gt、Cho)、恒岡章(Dr、Cho)の3人体制となる。
1995年に発表された1stフルアルバム「GROWING UP」は当時まだ珍しかったメロコアサウンドが日本のみならず海外でも多くのリスナーの心をつかみ、海外版と併せてトータル70万枚以上の売り上げを記録した。その後にリリースされた作品はいずれもオリコン10位以内を記録しており、1999年にリリースされた3rdフルアルバム「MAKING THE ROAD」は100万以上を売上げ、日本パンクシーンに残る名盤の1つとされている。
ライブ活動においてはライブハウスを中心とした国内外ツアーに加え、野外フェスの「AIR JAM」を1997年より主催しており、DIY精神が強く表れたこのフェスは後のアーティスト主催フェスの先駆けとなった。
2000年のAIR JAMを最後に活動休止しており、一時は難波と横山の確執なども報じられたが、2011年の東日本大震災をきっかけに活動を再開している。

Hi-STANDARD / ハイスタンダード / ハイスタのレビュー・評価・感想

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Hi-DTANDARDの結成から解散のドキュメンタリ-作品

Hi-DTANDARDが大好きな私にとっては涙が出るほどの感動作品でした。ハイスタ結成当時のバンドへの考え方やメンバ-の間の確執などがリアルに伝わってきます。あの時のフェスはこんな気持ちでやってたんだな、とかファンには分からない裏の裏まで掘ってくれた作品だと思います。
やはりハイスタといえばKen Yokoyama氏の鬱病との闘い、突然の解散、突然の店頭のみのCD販売等が記憶にあるかとは思いますが、そのあたりの出来事の理由や説明、当時の本当のメンバ-の気持ちなどをハイスタメンバ-が一人一人個人的に説明をしていってくれて、あっなるほどな、だからあの時のライブはこうだったんだとか、そんな気持ちでバンドやってて大変だっただろうなとバンド側の人じゃないとわからないような内容が特徴でものすごく感動しました。
ほとんどはドキュメンタリ-構成なのですが、たまにライブ映像や見たことのないようなビデオ映像などもありハイスタの心の中をのぞきながら楽しめる作品になっていると思います。ライブ映像を期待している人にはほかの作品をお勧めしますが彼らの本当の気持ちや考えを知りたい人や、ハイスタのメンバ-の気持ちを誰よりも知りたいという方に絶対にお勧めします。

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伝説を作ったバンド

Hi-STANDARDとは、1991年にベース&ボーカルの難波章浩、ドラムの恒岡章、ギター&コーラス横山健で結成された、三人のバンド。元々は四人いましたが、結成後すぐに一人脱退した為、三人態勢となります。当時、英語の歌詞でメロディックなパンクは日本では数少なく、しかも日本人が歌う英語という事もあって、周囲からの冷たい視線はあったそうです。しかし三人は、数々の小さなライブハウスで精力的にライブを行い、メディアに一切出ず口コミだけで人気が広がり、1994年にミニアルバムをリリースした翌年1995年、アルバム『GROWING UP』をリリース。これが海外版も含めると70万枚以上のセールスを記録。続く1997年にアルバム『ANGRY FIST』をリリース。これが何とオリコン初登場4位を獲得します。また同年には初の主催フェスとなる「AIR JAM 97」を東京都のお台場レインボーステージにて開催し、伝説は徐々に頭角を現していきます。そして伝説のアルバム「MAKING THE ROAD」を1999年にリリース。タイアップもなく、メディア露出の最小限、その中で国内外合わせて100万枚以上の売り上げを記録したこのアルバムは、まさに異例の出来事で、伝説のアルバムです。しかしその翌年にHi-STANDARDは活動休止。その後それぞれソロでの活動や、メンバー間での確執が噂されたり、実際に仲悪き事を証明するような出来事もありましたが、そんな時、東日本大震災が起きました。大震災が起きた年の4月26日、難波、恒岡、横山の3人がそれぞれのツイッターでほぼ同時に『9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!』とつぶやき、3人揃った写真を掲載しました。これは震えました。3万枚のチケットに22万の応募が殺到しました。これを機に、ソロでも活動もしながら、Hi-STANDARDとしても彼らのペースで活動しています。活動は休止しても、伝説は休止しない。そう思わせてくれるバンドです。

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ハイスタンダードとは

ザクザクしたロックテイストのメロディーと駆け抜けるような爽快なテンポで幅広い年齢層から支持されているハイスタンダード。
1991年に難波章浩、恒岡章、横山健を中心に結成。
日本にメロコア(メロディックハードコアパンクロックの略称)というジャンルを確立させた立役者である。
現在のパンクロックバンドでハイスタンダードの影響を受けたバンドは多く、10-FEETやMONGOL800、SiM、WANIMA、04 Limited Sazabys、SR622などが挙げられる。
これまでにシングル4枚、アルバム5枚、EP7枚、オムニバス11枚、Video/DVD6枚を発表しており、MAKING THE ROADは国内外合わせて100万枚以上の売り上げを記録し、
ハイスタンダードというバンドを世間に認知させるキッカケとなった。
2000年に活動を休止したが、東日本大震災が起こった2011年に活動再開を表明、翌年にはハイスタンダードのオフィシャルホームページがオープンした。
2021年現在も全国ツアーライブを中心に精力的に活動しており、チケットの入手が困難なのはハイスタンダードの人気の高さを証明しています。
気分を高めたいとき、仕事用のBGMで聞きたいバンドとして、ハイスタンダードは大変おすすめです。

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伝説のメロコアバンド「Hi-STANDARD」

難波章浩(ベース・ボーカル)、横山健(ギター・コーラス)、恒岡章(ドラム)の3人を中心に1991年に結成された「Hi-STANDARD」、通称ハイスタ(以下ハイスタ)。
ベースボーカルでスリーピースバンドという新しいスタイルに、メロコアという新しいジャンルを作ったハイスタは、日本のパンク界で一世を風靡します。

1995年アルバム『GROWING UP』をリリース。結成からわずか4年で海外版含め70万枚の大ヒットとなりました。
その後、1997年にはアルバム『ANGRY FIST』をリリース、さらに同年ハイスタ主催のフェス「AIR JAM」を開催。まさにハイスタは飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていきました。
1999年には所属レコード会社であるハウリング・ブルから独立し、「PIZZA OF DEATH RECORDS」を設立。
同年リリースのアルバム『MAKING THE ROAD』は100万枚を記録し、インディーズバンドながら異例の大ヒットとなりました。
このアルバムに収録されている『STAY GOLD』はハイスタを代表する1曲となり、フェスやライブでは大盛り上がりする定番の曲となりました。
しかし、2000年に開催された「AIR JAM 2000」開催を最後に、人気絶頂のハイスタは突然活動休止します。

ここから3人は個々の道を歩んでいきます。
横山は、PIZZA OF DEATHの社長をする傍らソロデビューも果たし、難波は沖縄に移り住みスタジオを建設、恒岡は様々なバンドでドラムのサポートをしていきました。

2007年には、難波が自身のブログ「TYUNBLOG」で、「Hi-STANDARDの原盤権を3等分しないなら、『MAIKING THE ROAD』は廃盤にすべきだ。これは金の話ではなく、作品にこめた魂の話だ」と横山への警告文をアップしたことにより、ファンの間では難波と横山の不仲説がささやかれ、ハイスタの復活は絶望的に思えました。

そして2011年。日本が悲劇に襲われたこの年、ハイスタは立ち上がりました。「AIR JAM 2011」の開催。
1曲目は、あの『STAY GOLD』。ファンが待ち望んだHi-STANDARDは復活を遂げました。
10年のブランクを物ともせず輝き続ける伝説のメロコアバンド。それがHi-STANDARDです。

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最高最強のメロディックハードコアバンド「Hi-STANDARD」!

Hi-STANDARD、通称「ハイスタ」。
インディーズバンドとしてDIYの精神で活動し、アルバムは100万枚を売り上げ、その界隈の「伝説」と言っても過言ではないバンドのひとつである。
日本で流行している所謂「メロコア」の走りはすべてハイスタが原点になっていると言っても問題はないだろう。それだけ1990年代のキッズたちを魅了し、一大ムーブメントを巻き起こしたバンドである。
楽曲はメロコアの御多分に洩れず、2ビートのリズムに乗せ、パワーコードの力強いギターリフとメロディアスな歌で誰もが口ずさめる音楽を奏でている。
彼らが自分たちで企画した「AIRJAM」は、インディーズのバンドたちで企画したにもかかわらず、スタジアム会場を満員にさせるほどの超人気フェスであった。
2000年以降活動を休止していたが、東日本大震災を契機に再び活動を始め、ゲリラ的にCDを販売するなど、相変わらずインディーズとしての精神を忘れずに定期的な活動を続けている。

若者はハイスタを知らない人が多いと思うが、その色褪せない楽曲はどんな世代の心にも刺さるものだろう。彼らの「Do It Yourself」の精神は今のバンドマンに多大なる影響を与えている。
まだ耳にしたことがないのであれば、ぜひ聴いてみてほしい。