いろんな「面白い!」を凝縮した作品
タイトルから既に、深く心打つであろうことは予測される作品。それゆえに敬遠したくなる気持ちも湧くが、実際に観たところ、期待以上の仕上がりであった。
主人公のルビーは、自身は何の障害もないが、自分を除く家族全員が聴覚障害を持ち手話でコミュニケーションを取る。いわゆるコーダ、Children Of Deaf Adultである。物語は、ルビーが家族の理解を得て歌への道を切り拓けるかどうか、その過程の苦心と葛藤を描いていたものである。この作品を支える面白さにはいくつもの要素があるが、代表的と考えられるものを3つあげてみよう。
ひとつは、家業が漁師であること。家族で早朝から船を出し、網を引き、かかった魚の頭を1匹ずつ潰していく。ルビーは爆音で好きなポップスを流して大声で歌うが、同乗している父と兄は聾者なのでおかまいなし。3人は手話でコミュニケーションを取りながら、コツコツと作業を進めていく。日々の生活のどうにも逃げようのないリアルさ・生々しさが冒頭に描かれることで、この作品のフレームが、人間が否が応でも生きなくてはならない世界であることが突きつけられる。
もうひとつは、家族で使われる手話。これが熱い。感情をぶつけあい、下品なジョークを言い合い、わがままを投げつけ合う。手話を扱う聾者のイメージはどうも控えめな印象があったが、それが完全に覆された。海の男たちは荒っぽくて粗野だし、母は娘に対して支配的で時に過干渉でヒステリック。ある意味どこにでもある家族像ではあるのだが、それらが手話で行為されることですさまじく新鮮に映る。タンカを切る動きも表情豊かで格好良い。
そして外してならないのは歌の要素。ルビー演じるエミリア・ジョーンズの伸びやかな歌声は、もっと聞きたい、ずっと聞いていたいと思わせる。その分、映画後半で聾者主観の世界に音声が切り替わり、ルビーの歌が聴こえない場面があるのだが、そのときのショックは大きい。父は、娘が、自分たち聾者が全くわからない歌を楽しみ、評価されているのを目の当たりにする。「俺たち聾者はお荷物だとバカにされている」と世をすねていたが、娘をどうにかして理解したいという強い衝動から、大きな一歩を踏み出すことになる。
最終的に主人公が救われて歌への道が拓かれるのはわかっているのだが、家族の理解を得ることが必須で、その困難さをどう乗り越えるかが観客としては未知の経験であり、作品を観続けたいと思わせるトリガーとなった。
障害者が描かれるとき、どうしても教条的になりがちだが、そんなことは一切ない。優しい目線でありながら、容赦ないエンタメ作品に仕上げられていた。一見の価値は間違いなくある。