エクソシスト(映画) / The Exorcist

エクソシスト(映画) / The Exorcistのレビュー・評価・感想

エクソシスト(映画) / The Exorcist
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現代において失われてしまった悔恨と贖罪の念を描いた、映画史に残る傑作

この映画「エクソシスト」は、現代において失われてしまった悔恨と贖罪の念を描いた、映画史に残る傑作だと思います。

この映画「エクソシスト」の製作、原作、脚色は、ウィリアム・ピーター・ブラッティで、彼は、それまでにも「暗闇でドッキリ」とか「地上最大の脱出作戦」等、数多くのコメディ映画の脚本を書いていますが、コメディと違ってこの「エクソシスト」が、果たして成功するのかどうか、全くわからなかったと彼は語っています。

彼の両親は、シリアとレバノンの生まれで、映画の冒頭に出てくる中東の廃墟の場面は、彼の出生とアメリカ情報局勤務当時の、その地での記憶と深く関わりがあると言われていますが、映画の本筋からは少しそれた感じを受けました。

それより、むしろ、この映画の実質的な、本当の意味での主役ともいえる、ギリシャ移民の子であるカラス神父(ジェーソン・ミラー)の、アメリカ社会から疎外されたような孤独な姿の中に、ウィリアム・ピーター・ブラッティの生い立ち、人間像、系譜といったものが生かされているような気がします。

この映画が、初めて公開された当時の日本では、ユリ・ゲラーの"スプーン曲げ"がもてはやされ、超能力やオカルト現象がブームを巻き起こしていました。
科学万能やエレクトロニクス革命の時代への反動のように、超常現象への関心が異常な程、高まっていました。

この事が「エクソシスト」を頂点とする、いわゆる"オカルト映画"のブームとなって現れたことは間違いありませんが、それは単に表層的なオカルト映画や見世物の恐怖ではなく、神と悪魔の存在を信じる欧米人にとっては、「エクソシスト」を始めとする一連のオカルト物は、彼らの心に奥深く突き刺さり、恐怖と戦慄を呼び起こしたのではないかと思います。

この映画のストーリーは、1949年のメリーランド州のある町で、14歳の少年の身に実際に起こった事件が元になったという事で、この少年は、3カ月に渡って悪霊に苦しみましたが、カトリックの"悪魔祓い師"(エクソシスト)によって解放されたそうです。

しかし、本当にこのような事実があったのかどうか、そして、カトリックの秘法によって人間の心が救われるのかどうか----我々、現代人にとってはなかなか信じ難い事です。

ましてや、キリスト教の歴史や背景や教義について、ほとんど知らない我々日本人にとっては、この映画の宗教的な本当の深さは、到底、わかりようがない気がします。

映画「エクソシスト」で描かれる、悪魔に取り憑かれた12歳の少女リーガン(リンダ・ブレア)の異常でおぞましい振る舞いは、むしろ滑稽でもあり、生理的な嫌悪感しか感じさせません。

悪魔の所業を示す音響効果や特撮も、反対にその実在感というものを希薄にしているような気がします。

むしろ、病院で再三再四繰り返される、脳や脊髄の近代的な医学検査の残酷さこそショッキングであり、また、カラス神父が自分の老母を貧窮の中に死なせる、ニューヨークの精神老人病棟の悲惨な状況の中にこそ、現代の悪霊そのものの姿を感じてしまいます。

カラス神父の、神に一生を捧げたばかりに、精神病の医者の資格を持ちながら、愛する母親を生ける屍のように放置しなければならなかった苦しみは、少女の悪霊に白髪の老母の姿を見て、その声を聞き間違う程に深いものがあったのだと思います。

そして、少女に巣食った悪霊を自らの心に受け入れて、身を捨てるカラス神父の壮絶な最期は、"現代において失われてしまった悔恨と贖罪の念"を我々観る者の魂の奥底に突き付けてきます。

この「エクソシスト」は当時、評判になったような少女リーガンの異常で、怪奇的なオカルトタッチの姿にその興味を持つのではなく、悪魔祓い師(エクソシスト)の"カラス神父の絶望の淵に深く沈みこんだ心"にこそ、焦点をおいて観るべきなのだと強く思います。

半ば壊れかかったアパートで、一人ラジオを聴き、病院のベッドで顔をそむけ、そして、地下鉄の入り口に幻のように現われる老母の姿は、カラス神父にとっては、少女リーガンに取り憑いた悪霊そのものです。

そして、この悔恨の悪霊は、乱れた男女関係その他、諸々の人間関係から生まれた、この世の邪悪と共に、この純粋で無垢な少女の身を借りて、醜い悪魔となって、この世に現われて来たような気がします。

そして、メリン神父(マックス・フォン・シドー)とカラス神父の二人の死というものを代償にして、やっと追い祓われる悪魔は、実は"現代社会の中で、人それぞれに歪められてしまった心そのもの"である事を暗示的に示しているのだと思います。

原作、脚色のウィリアム・ピーター・ブラッティと監督のウィリアム・フリードキンの、この映画に情熱をかけた真の狙いもそこにあったのだと思います。

エクソシスト(映画) / The Exorcist
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エクソシストと悪魔の戦いを描いた映画「エクソシスト」とは

少女リーガンに憑りついた悪魔とエクソシストとの戦いを描いた映画「エクソシスト」は、
オカルト映画の代表作といえるほどの名作で、今ではその名を知らない人はいないのではないでしょうか。
そのあまりの映画の恐怖ゆえに途中で映画館を出てしまった観客が多数いたという話もあるほど恐怖感の凄まじい作品といえるでしょう。

序盤はウィジャボードなど一人遊びの大好きな少女リーガンと家族の交流が描かれています。
ある日を境にリーガンの寝ているベッドが異様にうごめく、親も聞いたことのないような言葉を話すなど奇妙な現象が続いていきます。
困り果てた母親はリーガンに精神科医を受診させますが快方に向かう気配がありません。
困り果てた母親に元牧師のダミアンカラス神父に相談したところから一気に話が展開していきます。
カラス神父は牧師としてでなく精神科医としてリーガンと話をするということを条件に面会することを許可しました。
しかしそこでの惨状を目の当たりにしたカラス神父はリーガンには本物の悪魔が憑依していることに気づき始めます。
そこで実際に神父を生業としているメリル神父の協力を得て悪魔と戦うことを決意しました。
いまやホラー映画の傑作として世に知られる作品なだけに恐怖描写もかなりのものです。
もしこれから視聴をしたい方がいられたらお近くのビデオショップなどで購入あるいはレンタルが可能かと思います。

エクソシスト(映画) / The Exorcist
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悪魔に魅入られた少女を特殊効果で克明に描写するホラー傑作『エクスシスト』

米国公開が1973年12月の本作は、「少女に憑依した悪魔と、自らの過ちに苦悩する神父の戦いを描いたオカルト映画の代表作」に位置付けられます。映画のタイトルに掲げられた”エクソシスト”とは、英語で「悪魔を払う祈祷師」を意味しています。
年季の入ったカトリック僧であるランケスター・メリン神父はイラクの古代都市ハトラの考古学的な発掘に参加していました。同僚に注意を促されてメリンは、古代由来の悪魔パズズに似た彫刻を発見します。その直後に、メリンはパズズの彫像が彼の上にそびえ立つ光景を夢に見ます。それは来るべき悪魔との対決を暗示する前兆なのでした。
他方、米国の首都ワシントンの高級住宅街ジョージタウンには、女優のクリス・マックニールが12歳の娘リーガンと住んでいます。クリスは、友人のバーク・デニングスが監督する映画への出演が決まっていました。ある時、娘のリーガンが「キャプテン・ハウディ」と名乗った悪霊と霊交信するようになり始め、奇妙な行動をとったり、古い言葉を使ったり、異常な体力を示すようになりました。それだけではなく、家では夜な夜なポルターガイストまがいの現象が発生します。別な機会にはリーガンのベッドが激しく揺れて、リーガンが突拍子もなく起き上がります。クリスは何人もの精神科医に相談し、リーガンはさまざまな検査を受けるのですが、精神的な異常はまったく見出せませんでした。