激走戦隊カーレンジャー

激走戦隊カーレンジャーのレビュー・評価・感想

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激走戦隊カーレンジャー
10

狂気の浦沢ワールドの裏に込められたヒーローの真意

『鳥人戦隊ジェットマン』と並ぶ戦隊シリーズきっての異色作、それがこの『激走戦隊カーレンジャー』です。本作は「ジェットマン」とはまた別のアプローチからシリーズの常識を覆した一作と言いますか、「ジェットマン」が当時の流行であった80年代風トレンディドラマの作風を持ち込みながらも、それを通して「ヒーロー」を「虚像」から「現実」に変えていき、戦隊シリーズの中に深い人間ドラマを描き込むことでシリーズ全体の自由度を高め、それまで凝り固まっていたシリーズの常識の枠を打ち破り次代に繋げていくことに成功した逸品でした。
本作はそこから始まった「ジュウレンジャー」〜「オーレンジャー」までを踏まえて、どんどん突き詰めれば突き詰めるほど矛盾を孕み、おかしくなっていく戦隊シリーズをとことんまでシュールギャグとして茶化し、しかしそのギャグの中にこそ実はヒーローものとして大切なエッセンス、本質が鋭く、しかし深く散りばめられている。そういうことを感じさせる一作ではないかと思うのです。
本作はいわゆる東映不思議コメディシリーズ、またアニメだと「忍たま乱太郎」「練馬大根ブラザーズ」などを手がけてきたシュールギャグの天才・浦沢義雄氏がシリーズ構成を行っているせいか、どうしても表面上のエキセントリックな作風にばかり目を奪われがちです。実際出てくる登場人物は一見してやる気のない、ヒーローとしての自覚や使命感など欠片もない零細自動車会社で働く一般人五人に星一つを簡単に花火にしてしまえる力を持ちながら根本的に組織として緩いアホな烏合の衆の集まりのボーゾック、というそれまでの戦隊シリーズの常識からすると脱力するような連中ばかりです。
しかし、そんな彼らだからこそ繰り出されるシリーズの常識を茶化したギャグ、特に戦隊シリーズの伝統である「五つの力を一つに合わせる」を逆手に取った「一の力を五分割しているだけだ」という迷台詞や立派な大義に拠らない「等身大の正義」、即ち誰にでも当たり前にある「大事な人の為に戦う気持ち」が実はギャグに騙されず具に見ていくと実に丁寧に描かれており、寧ろ浦沢脚本ではなく曽田脚本や荒川脚本の時の方がギャグとしてのはっちゃけぶりが振り切れていると感じるほどです。
そしてそんな本作が終着点としてたどり着いて見せた答え、それが「心はカーレンジャー」なのです。終盤彼らは偶々正義の星座伝説が酔っ払ったことで変身不能になり、基地ごと破壊されピンチに陥ります。しかし、そんな彼らだからこそ「たとえカーレンジャーではなくなり一般人になっても、彼らの心の中にカーレンジャーというヒーローは生き続けている」というメッセージ、即ち我々視聴者の心の中に等しく「ヒーロー」は居るのだというのが作品全体のメッセージとなり、故に一見戦隊シリーズを茶化しているようで、実は奥底で非常に丁寧に真正面から「ヒーローとは何か?」を問うた一作だと言えます。
また本作を語る上で外せないのは作曲家・佐橋俊彦氏のセンセーショナルな音楽です。彼がそれまでの戦隊シリーズの音楽をがらりと変えてくれたからこそ、またシリーズ全体の自由度も高まったと言えます。故に本作は「戦隊シリーズの皮を被った不思議コメディ」でありながら、同時にギャグを通して「ヒーローとは何か?」という真意を問う物語になっている。だからこそ熱を失わず名作として評価され続けているのでしょう。