The Doobie Brothers / ドゥービー・ブラザーズ

The Doobie Brothers / ドゥービー・ブラザーズのレビュー・評価・感想

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The Doobie Brothers / ドゥービー・ブラザーズ
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ドゥービーブラザーズは、前期がいい?後期がいい?

たった1人のメンバーの加入によって、それまでスタイルがガラッと変わるバンドがあります。

代表的なものとして挙げられるのは
●クール&ザ ギャング
●シカゴ
●ジャーニー

いずれも80年代に、フロントマンのチェンジにより、華麗なるV字回復を果たしたバンドですが、70年代にもある1人のメンバーの加入によりまるで別物の様になってしまったバンドがあります。
「ドゥービーブラザーズ」です。
70年代に「イーグルス」とともにアメリカ・ウエストコーストの人気を二分したロックバンドです。

結成は1970年、カリフォルニア。中心人物はボーカル兼ギターのトム・ジョンストン。
バンド名である「ドゥービー」とは、カリフォルニア周辺のスラングで、マリファナのことを指します。
71年にアルバム「ドゥービーブラザーズ」でデビュー。アメリカ南部の泥臭いロックを演奏していましたが、72年の2作目「トゥールーズ・ストリート』に収録の「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」がビルボード11位を記録する大ヒット。
おそらく今の若い人達もどこかで聞いた事あるであろうこの曲は、アメリカ西海岸特有の爽やかでキャッチーなサウンドで、彼らの代表曲となりました。

1973年発表の3作目「キャプテン・アンド・ミー」から1975年発表の5作目「スタンピード」までに「ロング・トレイン・ランニン」、「チャイナ・グローヴ」、「ブラック・ウォーター」等のヒットを連発。
「ロング・トレイン・ランニン」は様々なバンドに繰り返しカバーされ、現在でも多くのリスナーに聴き継がれる彼らの代名詞と言えるナンバーとなりました。
「ブラック・ウォーター」は彼らの初の全米No.1ヒットとなりました。

1975年、グループの中心だったトムジョンストンが、夏のツアー中に病により離脱。元々スティーリーダンのサポートメンバーだつた「マイケル・マクドナルド」が、急遽代役を務めたのちにグループへ加入しました。
これが、その後のドゥービーブラザーズのサウンドを大きく変える事になるのでした。

1976年発表の6作目「ドゥービー・ストリート」(Takin it to the street)は早くもマイケルのカラーが全面に押し出されたアルバムとなりました。
初めてこのアルバムに針を落とした当時のファン達は、きっと度肝を抜かれた事でしょう。それまでの「ダブルドラムにトリプルギター」の力強いアメリカンロックから、突然、キーボードを中心とした「都会的なAOR サウンド」へと大変貌を遂げたのですから。

1977年7作目のアルバム「運命の掟」(livin on the fault line)は、前作の路線を継承したアルバムでしたが、トム・ジョンストンがグループを離れ、バンドの顔は完全にマイケル・マクドナルドに代わったのでした。

そして1978年に発表された8作目「ミニット・バイ・ミニット」(Minute by minute) は彼らのキャリアの頂点となる大ヒットを記録しました。
特にマイケルと(映画フットルースの主題歌で有名な)ケニーロギンスとの共作である「WHAT A FOOL BELIEVES」はビルボードNo.1に輝き、様々なアーティストにカバーされました。
2021年には、サントリークラフトBOSSのCMにも使われている様に、永遠の名曲の一つとなったのでした。

アルバムは第22回グラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞など4部門を受賞すると言う栄誉に輝きました。

しかし、イーグルスの名作「ホテルカリフォルニア」もそうであった様に、えてして名作を発表した後は産みの苦しみを味わうものであります。
2年の歳月を経て発表された1980年の9作目「ワン・ステップ・クローサー」は、マイケル・マクドナルドが参加した最後のアルバムとなり、事実上ドゥービーブラザーズのラストアルバムとなりました。
(まるでホテルカルフォルニアから3年の歳月を経て発表されたアルバム「ロングラン」がイーグルスの最後のアルバムとなった様に)

1982年、ドゥービーは「フェアウェルツアー」を敢行、12年に及ぶ活動に終止符を打ちました。
7年後の1989年、トム・ジョンストンを中心にドゥービーは再結成を果たします。
アルバム「サイクルズ」からは「ザ・ドクター」含む二曲がシングルヒット。
しかしこのアルバムにマイケル・マクドナルドのクレジットは無く、ドゥービーは完全に初期ドゥービーブラザーズに回帰したのでした。

1991年に「ブラザーフッド」、2000年に「シブリング・ライヴァルリー」を発表しますが、いずれもマイケル・マクドナルドは参加していません。
と言う事で、ドゥービーブラザーズは「ロング・トレイン・ランニン」に代表される前期と「ホワット・ア・フール・ビリーブス」に代表される後期の二期に分かれますが、両者はまるで別のバンドなのではないかと思う程、サウンド面に置いてまったく異なる様相を呈しています。

初期のドゥービーは、「気持ち良ければ誰でもウェルカム!」みたいな、爽快で開放的なイメージでしたが、マイケル・マクドナルドと言うカラーの違うメンバーを受け入れた事により結果としてバンドはマイケルの高度に構築された音楽性が特徴の「隙のないバンド」になってしまったのです。

バンドの方向性をたった1人でかえてしまったマイケルの才能も素晴らしいですが、それまでギンギンなロックを奏でていたメンバーたちがマイケル加入後はまるでジャズの様な洗練された音楽を何の不服も無く演奏していたと言うのもこのバンドの懐の深さと多様性を感じます。

では、前期と後期、どちらがドゥービーブラザーズなのかと言うと、筆者は「両方」と言いたい。
「いや、トムジョンストンが率いた前期こそが、ドゥービーだ!」と言うファンは多いです。
特におじさん達。オーバー55。
割合としては6:4.いや7:3くらいで、前期の勝利でしょうか。
中には「後期ドゥービーは、ドゥービーじゃない!」と言う人も少なくないでしょう。

でも「後期ドゥービーが好き」と言うファンは前期ドゥービーも受け入れる傾向があると思います。
筆者もその1人です。

歴史に「もし」はタブーですが、もしドゥービーが前期のまま突き進んでいたら、恐らくどこかで行き詰まっていたでしょう。
突き抜けるにはやはり変身が必要だったのです。
だからドゥービーは前期も後期も合わせてドゥービーなのです。
先入観の無い若い人達には是非ドゥービーブラザーズを聴きながら海辺をドライブして欲しい。
窓を開け放ち、海岸通りを疾走しながら、大音量で、前期ドゥービーのナンバーを聴いて下さい。また、サンセットビーチで、乾いた風を感じながらマイケル・マクドナルドのハスキーボイスに耳を傾けて下さい。
きっと目の前には、キラキラと輝くセピア色の情景が広がっているでしょう。

そう、ドゥービーブラザーズはまさに、一粒で二度美味しいのです。