蝶々夫人

蝶々夫人

『蝶々夫人』(ちょうちょうふじん、原題: Madama Butterfly)とは、ジャコモ・プッチーニが作曲した全3幕からなるオペラである。台本はジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカが手掛けた。長崎を舞台に、没落藩士の令嬢である蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛と悲劇を描いた作品である。
原作は、ジョン・ルーサー・ロングが1898年に『センチュリー・マガジン』で発表した短編小説『Madame Butterfly』、およびこれを基にデーヴィッド・ベラスコが制作した戯曲である。1904年2月17日にイタリアのミラノ・スカラ座で初演された当初は大失敗に終わったものの、同年5月28日にブレシアで上演された改訂版の成功を経て、世界各地のオペラハウスにおける標準的なレパートリー作品として定着している。
本作は色彩豊かな管弦楽と旋律美に富んだ声楽部が細やかに調和した名作として知られ、日本を舞台にしている背景もあり、プッチーニの作品群の中でもとりわけ日本人に親しまれている。特に第2幕で歌われるアリア「ある晴れた日に」は非常に高い知名度を誇る。
背景として、フランスの作家ピエール・ロティの小説『マダム・クリザンテーム(お菊さん)』や、これを基にしたアンドレ・メサジェの同名歌劇が先行作品として挙げられる。プッチーニは1892年夏にメサジェとともに滞在した際にお互いのスコアを研究しており、ロティの小説も既読であったため、メサジェの『お菊さん』から着想を得たと考えられている。実際に祈りの場面や二重唱、登場人物の描写、日本の旋律の扱いなどにおいて多数の類似点が確認されている。
制作の過程において、プッチーニは1900年に『トスカ』のロンドン初演で渡英した際、ベラスコによる戯曲『蝶々夫人』を観劇して深い感銘を受け、次回作の題材に選定した。ミラノへ戻った後はイルリカおよびジャコーザとともに制作を開始し、権利問題の解決を経て本格的な着手に至った。プッチーニは日本音楽の楽譜やレコード、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を精力的に収集した。さらに、当時の駐イタリア特命全権公使・大山綱介の妻である久子から日本の事情や民謡について知見を得たほか、1902年4月にはミラノで女優の川上貞奴の芝居を観劇して感銘を受けた。
1903年2月、プッチーニは自動車事故により大腿部を骨折する重傷を負い、車椅子での作曲活動を余儀なくされたが、同年12月27日に全曲を脱稿した。同年に刊行された挿絵入りの単行本において、原作者のロングはオペラ化を喜ぶ序文を寄せている。その後、1904年1月3日にはトッレ・デル・ラーゴにてエルヴィラ夫人と正式な結婚式を挙げた。

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