日本のいちばん長い日

日本のいちばん長い日のレビュー・評価・感想

日本のいちばん長い日
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日本の敗戦をドキュメンタリータッチで描き切った歴史大作『日本のいちばん長い日』。

同名の映画は2000年代にもリメイクされていますが、こちらで取り上げるのは1967年に公開された日本映画の方で、製作と配給は東宝。モノクロ作品でシネスコフォーマットでした。映画は映画会社・東宝の設立35周年記念作品として企画されたとのことで、社内ではヒット作を狙うのではなくて製作すること自体に意義を見出していました。本作以降、東宝では日本の敗戦を記念する「8.15シリーズ」が製作され、1972年まで続きました。監督として小林正樹の名前が上がっていましたが製作側と相性が良くなかったために、脚本の橋本忍が岡本喜八を推薦し、別な映画の脚本を執筆中であった岡本が急遽起用されたという経緯があります。岡本喜八は撮影にあたっては事実重視の描写に徹したうえで、作品のエンドクレジットに「この戦争で300万人が死んだ」という文言を挿入することに執着をしたと言われています。
この映画は公開後に賛否両論の論争を巻き起こし、「戦争指導者を英雄化している」との批判的な意見もあったそうです。脚本を書いた橋本忍はスタッフの全員が大外れと踏んでいた本作が大ヒットを収めた理由について、戦後22年目の1967年に軍国主義の復活が囁かれていた時期に、時代を振り返ろうとする心理が働いたのではないかと述べています。

日本のいちばん長い日
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第二次大戦とは何だったのか

日本は、第二次世界大戦の敗戦国として世界に知られています。
『日本のいちばん長い日』は1967年に公開された映画で、「日本が世界の戦争の泥沼から抜け出すことが出来なかった原因と責任が、軍の上層部にある」ということを、戦後に生きる私たちに教えてくれる映画です。
連合軍がよこしたポツダム宣言を脅しと取らず、日本の都合の良いように解釈し放置した結果、広島と長崎に原子爆弾が落とされ、日本全国が焼け野原になるという散々な結果となってしまいました。

海軍と陸軍の上層部が分裂し、会議室で揉めています。終戦を受け入れるか入れないか、国体護持はどうなるのか…。
一向に解決しない話し合いが続き、ムダに時間を過ごしています。
その間にも戦争はどんどん深みにはまり、特攻隊や海外に派遣された一般の兵隊の犠牲が増えていくのです。そして、青年将校たちによる反乱が起こり始めてしまいます。
「日本に敗戦などあってはならない」。この凝り固まった思想が、本土で暮らす国民の犠牲を無駄に増やし、若者をどんどん戦地に追い込んでいく結果となります。
青年将校たちは、「戦争を勝利で終わらせるために、本土決戦もやむを得ない」とまで言い出す始末です。
まるで二・二六事件を彷彿とさせる青年将校たちのクーデターを、放置するかのように無能な話し合いを続ける軍の上層部。
この旧日本軍の上層部や当時の首相の危機意識の薄さは、今の政治家と共通しているところもあり、戦後80年近く経過していてもちっとも変っていないところに恐ろしさを感じます。
平和な現代に生きる私たちにも、当時をよく知る半藤一利さんの書いた小説が原作であるこの『日本のいちばん長い日』は、戦争を知る上で見ておかなければならない名映画であると思います。