Cozy Powell / コージー・パウエル

Cozy Powell / コージー・パウエル

コージー・パウエル(Cozy Powell、本名:Colin Flooks)とは、イングランド出身のドラマー、ロックミュージシャンである。若くしてその圧倒的な実力を認められ、1970年代から多くの著名なロックバンドを渡り歩いた経緯から、業界では「渡り鳥」などとも称された。地味だったドラマーの存在をその華やかなプレイで一変させ、キース・ムーンやジョン・ボーナムらと並ぶロック・ドラムヒーローの先駆者として知られている。米ローリング・ストーン誌が選出する「歴史上最も偉大な100人のドラマー」では43位にランクインした。
12歳の時に学校のオーケストラでドラムを始め、1960年代からセミプロとして活動を開始する。1970年にジェフ・ベックに見出されたことで、第二期ジェフ・ベック・グループのドラマーとして知名度を一躍高めた。グループ消滅後はセッション活動を続けつつ、自身のバンド「ベドラム」を結成したほか、1974年にはソロ名義のシングル『Dance with The Devil』をスマッシュ・ヒットさせている。1975年にはリッチー・ブラックモア率いるレインボーのオーディションに合格し、第2期レインボーの黄金期を支えるドラマーとなった。1979年に発表した初のソロ・アルバム『オーヴァー・ザ・トップ』のタイトル曲では、チャイコフスキーの「序曲1812年」に合わせた壮大なドラム・ソロを披露している。
1980年8月にレインボーを脱退した後は、マイケル・シェンカー・グループ、ホワイトスネイク、エマーソン・レイク・アンド・パウエル、ブラック・サバスなど、ハード・ロック界を代表する数々の大物バンドのレコーディングやメンバー契約を締結。1990年代にはニール・マーレイとコンビを組み、ブライアン・メイやピーター・グリーンのバンドに参加した。パワフルで華麗なステージイメージとは裏腹に音楽に対しては非常に几帳面であり、音楽プロデュースにも携わっていたほか、在籍したバンドの貴重なデモテープを個人で厳重に管理していた。使用機材としては、初期はラディックを愛用し、1980年代以降は生涯にわたってヤマハのドラムを愛用した。リッチー・ブラックモアの大音量ギターアンプに対抗するため、18〜20mm径という極太で重いスティックと26インチのツインバスドラムを駆使した大音量の重戦車ドラミングが最大の特徴だった。
大の自動車好きであり、一時期は音楽を辞めてレーサーへの転向を真剣に考えたほどだった。しかし1998年4月5日未明、イギリス・ブリストル郊外の高速道路にて、酩酊状態でシートベルトを着用せず、ガールフレンドと携帯電話で会話をしながら時速167kmで走行中に中央分離帯に衝突する事故を起こし、急逝した。その2か月後に発売されたブライアン・メイのアルバム『アナザー・ワールド』が遺作となった。

Cozy Powell / コージー・パウエルのレビュー・評価・感想

Cozy Powell / コージー・パウエル
10

伝説のロックドラマー コージー・パウエル

コージー・パウエル…ハードロック好きの方なら1度は耳にしたことのある名前だろう。そのプレイスタイルは『パワフル』。
数多のミュージシャンが彼のプレイを称賛し、かつ共にプレイする事を望んだ。有名なところではM.S.G(マイケル・シェンカー・グループ)、レインボー、ゲイリー・ムーア、ジェフ・ベック、ホワイトスネイクetc…。一聴してすぐに彼のプレイだと気付かされるそのスタイルは、実にシンプル。コージー節とも呼ばれる彼のオカズ(フィルイン)は、誰でも口ずさめるほどに単純で耳に残るもの。
どのバンドに居てもその存在感を出し、良くも悪くも馴染まない。そんな彼はバンドでは長続きせず、数多くのバンドを渡り歩いた。彼はYAMAHAのRC9000シリーズというドラムセットのクローム仕上げ(ステージのライティングで光り輝く)を愛し、REMOのCSシリーズという音抜けの良いヘッドを貼り、それをノーミュートで『ぶっ叩く』。ノーミュートであるにも関わらず、倍音が基音に負けて耳障りな音が聞こえてこない。レギュラーグリップ(Jazzや鼓笛隊の持ち方)にも関わらず、フルスナップのマッチドグリップ(ロックドラマーの持ち方)以上の音を奏でる。その型破りなスタイルが人気のもとであった。
そんな彼も1998年4月5日自動車事故により、この世を去る。享年50歳。