映画を通して、ふと感じさせる日常のノスタルジックな悲しみと寂しさ
ヴェネチア国際映画際で、銀獅子賞を受賞したこの作品は、日常に潜む悲しみと寂しさをテーマに全編ワンシーンワンカットによる計33の場面で描かれています。その独特な日と場面ごとのワンシーンは、まるで詩を映像で綴っているかのような寂然とした美しさの連続に心が洗われたような見心地に浸らされます。場面が異なるシーンの一つ一つに表現される日常の悲しさと寂しさを、誰もが一度は経験したことがあるはずです。
過去の諍いから遠縁となっていたが、たまたま再開した旧友に挨拶したが無視される。
ずっと価値ある素晴らしいと信じていた物が、突然何の意味も持たない無価値な物へと変貌した。
苦悩からの救いを求めるが、誰もその苦しみを理解してくれない。
どこかコメディなティストを含ませながらも、映像に描かれる日常の小さな悲劇を描写した映像に、視聴する側の心もいつしか郷愁とした寂しさに覆われていた。まるで夏から冬へとゆっくり過ぎ去っていく時間の中で、並木道の新緑の木々が枯れ落ちていく風景に意味もなく寒々とした寂しさを見終わったときに感じさせられる。人生とは悲しみや寂しさが多くあるが、しかし、それでも愛に溢れた喜びがある。監督の魔法のような映像詩に、私は自然と引き込まれて気づけば涙腺が緩みかけていた。生活が貧しくても、人生が虚しくても、それでも日常には愛があり希望がある。
映画を見終わった時、私の心は悲しみや寂しさといった感情に支配されていたが、不思議とそれは朗らかで明るいものであった。それはおそらくだが、映画を通して共感できた悲しみや寂しさが、決してそれだけでないことを教えられたからなのかもしれない。通りを歩いているときに、ふと説明できない悲しみや寂しさに襲われたことがある人なら、この映画を一度は見て貰いたい。