Sia / シーア

Sia / シーア

Sia(シーア)とはオーストラリア出身のシンガーソングライター。顔を隠して歌う”覆面シンガー"で2014年リリースのアルバム『1000 Forms of Fear』が世界中で大ヒットして、同アルバム収録の「Chandelier」はYouTubeの再生回数は約23億回を誇るなど一躍トップアーティストになった。大物アーティストらに楽曲提供しヒット曲を連発させており、楽曲提供者としての評価も高い。音楽活動以外にもチャリティ活動、映画監督などマルチな活躍を見せている。

Sia / シーアのレビュー・評価・感想

Sia / シーア
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「Never Give UP」に込められた、Siaの力強いメッセージとは

Siaは、グラミー賞に何度もノミネートされている歌姫です。
低音も高音も自在に操れる彼女の歌声は、世界中の人たちを虜にしています。
Siaには数々のヒット曲がありますが、私がおススメしたいのは「Never Give UP」です。

軽快なリズムが心地よく、ぱっと聴いただけではポップな歌詞なのかな?と思いますが、
この歌にはSiaからの力強いメッセージが込められているんです。
「Never Give UP」=「諦めない」と訳せますよね。
英語が得意ではない人でも知っているような単語ですが、
この曲では「never give up」という言葉が繰り返し使われていて、絶対に諦めない!というメッセージがダイレクトに伝わってきます。
シンプルだからこそ、ストレートな歌詞が心に響くんです。

そして、この曲からは他にも強いメッセージが伝わってきます。
「I won’t let you get me down(お前になんて負けない)」
「I’ll keep getting (打ちのめされても、何度でも立ち上がる)」
この2つの歌詞には、「絶対に負けない!」という力強いメッセージが込められています。

「諦めない、負けない」と思う対象は人それぞれです。
何かに挑戦する人、弱気な自分に負けたくない人など、境遇によって受け取り方が違ってくるのがこの曲の魅力でもあります。
Siaの「Never Give UP」を聴いて、心を奮い立たせてみてはいかがでしょうか?

Sia / シーア
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心の奥底から絞り出される情熱

オーストラリアの女性シンガーソングライター。自身の作品を出す他にも、別のアーティストへの楽曲提供や客演において、素晴らしい才能を発揮しています。

シーアの活動を大々的に有名にしたのは、EDMの影響を受けて盛り上がりを見せていたポップミュージックシーン。
それ以前からアーティスティックでポップな彼女の曲は注目され、スターバックスのコンピレーションアルバムに収録されたり、Apple社のCMに起用されるなどしていました。
そのときのインディーな魅力も素敵なものだったのですが、EDMの楽曲に客演したり、ポップアーティストに曲を提供するようになると同時に、シーアの才能は爆発していきます。

シーアが書いた曲は軒並みヒットし、人々の心を掴んでいきます。
切なく、情熱的で、心の奥底から絞り出したような歌は強く訴えかけるものがあるのです。
それでいてポップな感性も持ち合わせているので聴きやすいメロディーは耳に残ります。
ジャズをベースにした個性的な歌声も魅力的で、曲を提供されたアーティストの歌い方が、シーアに似てしまうという現象も起こりました。

そんなフィーバーを経て、2014年に満を持してリリースされた自身のアルバム『1000 Forms of Fear』は感動的なメロディーが詰まった傑作となります。
印象的なのは一曲目に収録された『Chandelier』。
ポップシンガーに引っ張りダコとなったことに対する苦しみが曲になっています。
繊細なアーティスト肌のシーアにとって、パーティーガール達の相手をするのは、相当なストレスになっていた模様。
少女ダンサーが踊りまくるミュージックビデオも話題となった名曲です。

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Siaの曲と人生

「The Greatest」「Chandelier」「Cheap Thrills」などの世界的ヒット曲で知られているSiaをあなたはご存知だろうか。
そのような誰もが知るSiaが生きてきた人生と歌について書こうと思う。

1. 出生
Sia,本名シーア・ケートは、1975年オーストラリアのアデレードでミュージシャンの父と美術講師の母の間に生まれた。彼女は子供の頃から、当時影響力のあった、StingやStevie Wonderなどのパフォーマンススタイルを真似していたという。

2.イギリスでの不人気
1990年代半ばからシーアは地元のバンドグループでシンガーとしての活動を始めるが、1997年にバンドは解散することになる。そこで彼女はロンドンに移りイギリスバンド「Jamiroquai」のバックグラウンドボーカリストとして歌いながらもソロのアルバム曲を出していた。しかし彼女の曲はイギリスでは売れず観衆の反響を得られなかったことから、2005年にアメリカのニューヨークに移ることになる。

3. アメリカでの彼女
アメリカのテレビシリーズ「Six Feet Under」の最後のシーンに使われた事がきっかけとなり、そこから確かなキャリアを築き上げていく。彼女はニューヨークのヒロボールルームでライブコンサートを行い、彼女のアルバム 「We are born」は、Golden Globe Awardsのベスト68位、また、オーストラリアレコーディング産業協会から金賞に選ばれるまでになった。

4. ストレスと苦境
しかしながら、大きな成功を収めた彼女は膨らんでいく自身の名声に不快感を示し出す。彼女はツアーのプロモ活動を拒み、ステージで顔をマスクで覆い、道端で薬や酒に浸るようになった。当時は自殺さえも考えていたという。彼女はアーティストをやめてソングライターとして活動し始める。

5. そして現在
2014年にはアルバム 「1000 Form of fear」、2016年には 「This is Acting"」を発表。彼女の 「Chandelier"」は2010年代のBillboardランキングで10位、2015年のグラミー賞では「レコードオブザイヤー」「ソングオブザイヤー」「ベストポップソロパフォーマンス」「ベストミュージックビデオ」の4部門でノミネートを受けた。