新世紀エヴァンゲリオン / Neon Genesis EVANGELION

新世紀エヴァンゲリオン / Neon Genesis EVANGELION

『新世紀エヴァンゲリオン』(略称:エヴァ)とは、GAINAXによる日本のテレビアニメ作品である。
ある日、主人公の「碇シンジ」がその父親に招集されるところからスタートする。そしてロボットに乗って「使徒と戦え。でなければ、帰れ。」という使命を、父親である「碇ゲンドウ」から伝えられる。
使徒とは強大かつ絶大な力を持つ未確認生命体であり、人類の敵である。
その対抗策として、人類が造りだした汎用ヒト型決戦兵器を「エヴァンゲリオン」と呼ぶ。
シンジは神経接続を介してエヴァを操縦し、使徒と戦う。
彼にとっては、父親に認められることが全てではあるが、ゲンドウが総司令官として戦う真意は、人類を守るところでも、父親としての気丈でもないとされている。
「もうすぐ会えるな、***。」
この真意を覗いたとき、シンジは狂気とエゴに踊らされていたことに気づく。
エヴァとは、1990年代の第三次アニメブームのきっかけとされる作品で、その影響力は社会現象レベルであった。
制作委員会方式を独自に採用した最初のアニメでもある。ここでの成功を得て、後続の深夜アニメが多く世に出され、21世紀以降における「アニメ文化」の基礎を築いた。
なお、テレビアニメ版、漫画版、旧劇場版、新劇場版の四作品シリーズには、多少の内容的相違が見られる。
そして、この物語全般には監督である庵野秀明の人生観が大きく寄与している。極めて斬新な内容を多く秘めている。

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新世紀エヴァンゲリオン / Neon Genesis EVANGELION
9

エヴァ。それは、心理学+宗教+哲学+ロボットのハイブリット作品。

『新世紀エヴァンゲリオン』は日本中の誰に聞いても「それ知ってる」と返ってくる作品の一つではないだろうか?しかし、「どんな話?」と質問を一つ変えると「よく分からない」、「難しいって聞いたから見たことがない」という答えが返ってくる作品でもある。エヴァの魅力とは何なのだろうか。

「エヴァ=ロボットアニメ」だと思っている人も多いだろう。大枠だけ見るとそうかもしれない。14歳の少年碇シンジが、突然正体不明の化け物「使徒」との戦いに巻き込まれて、人類防衛部隊NERVの総司令である父親から「エヴァに乗れ」と言われ、無理矢理戦わせられる。そんな話である。未経験のパイロットが急に操縦桿を握り、なんだかんだで敵を倒せてしまうという流れとしては、『機動戦士ガンダム』シリーズを彷彿とさせる。
確かにエヴァはロボットらしきものが出てくる「バトルもの」である。しかし、私たち読者もある種の「バトル」を強いられるのが、この作品の魅力だ。その一部を紹介しよう。
エヴァのパイロットは全員が思春期真っ只中の14歳と決まっている。主人公たちは皆、自分の居場所が分からず他者とうまく付き合えない、思春期の少年らそのものである。彼らがエヴァという一つの居場所を起点に他者と触れ合うことで、傷付け合う。傷付けあうからこそ、自分の存在の輪郭が浮かび上がってくる。そうした思春期特有の「自己認識」の成長過程が描かれているのがエヴァの特殊性である。
エヴァを純粋に「かっこいいロボットもの」として楽しもうとすると、期待外れかもしれない。しかし、エヴァにハマるものならきっと誰しもが、まとめサイトやネタバレサイトに行き着くだろう。そこで知るのは、この作品に散りばめられた哲学的、心理学的、宗教学的な背景だ。「どういうこと?分からないよ!」と彷徨ううちに、気付けば聖書に詳しくなり心理学に詳しくなる。
例えば、物語の中では「自他の境界線」や「他者」といったキーワードが幾度となく出てくる。これは心理学者ユングの「ペルソナ論」であったりロシアの哲学者バフチンの「他者論」に通ずるものがある。
要するに、「ただ見ているだけでは理解しきれない」ことこそがエヴァの魅力なのだ。「そこまで難しい作品だったら、私はいいや」と思うそこのあなた!大丈夫。いつの間にか「分からない!知りたい!調べよう!」というマインドにしてくれるだけの魅力がエヴァにはある。そして、最後まで答えは出ない。エヴァの世界には、親切な「説明しよう!」はない。視聴者に説明のないままに、登場人物たちは熟知しているという物語世界が進んでいく。彼らの言葉を聞き、推察しながら解釈をしていく。そういうプロセスを視聴者に委ねているからこそ、一生涯の探求の対象として人気が出ているのだろう。