Stevie Ray Vaughan

Stevie Ray Vaughan

スティーヴィー・レイ・ヴォーン(英語: Stevie Ray Vaughan、本名:スティーヴン・レイ・ヴォーン(英語: Stephen Ray Vaughan))とは、アメリカ合衆国のギタリスト、作曲家、歌手である。テキサス州
ダラス・オーククリフ出身。1954年10月3日生まれ。アルバート・キング、エルモア・ジェームス、オーティス・ラッシュらの強い影響を受け、同郷のジョニー・ウィンターの後継者的存在として知られた。実兄は元ファビュラス・サンダーバーズのジミー・ヴォーンである。『ローリング・ストーン』誌が選ぶ「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」においても上位に選出されている。
音楽家を志して同州オースティンへ移った際にジョニー・ウィンターの目に留まった。「ポール・レイ・アンド・ザ・コブラス」等のバンド活動を経て、1975年に「トリプル・スレット・レヴュー」を結成。後にボーカルの脱退に伴い、クリス・レイトン、ジャッキー・ニューハウスとともに「ダブル・トラブル」を結成し、自身がリードボーカルも兼任するようになった。1981年にベーシストがトミー・シャノンに交替し、翌1982年のモントルー・ジャズ・フェスティバル出演時にデヴィッド・ボウイやジャクソン・ブラウンと出会ったことが大きな転機となった。1983年に参加したボウイのアルバム『レッツ・ダンス』でのギタリストとしての活躍により知名度が全米規模へ拡大した。同年、スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル名義で発表したデビューアルバム『テキサス・フラッド〜ブルースの洪水』および翌1984年の『テキサス・ハリケーン』はいずれもゴールドディスクを獲得した。1985年にはキーボードのリース・ワイナンズが加入し、アルバム『ソウル・トゥ・ソウル』を発表した。その後薬物・アルコール依存症の治療を経て復帰し、1989年のアルバム『イン・ステップ』でグラミー賞最優秀コンテンポラリー・ブルース・レコーディング賞を受賞した。しかし、1990年8月26日にウィスコンシン州でのブルース・フェスティバル出演後、乗車したヘリコプターが濃霧により墜落し、35歳で急逝した。
没後、実兄ジミー・ヴォーンとのユニット「ヴォーン・ブラザーズ」名義の作品『ファミリー・スタイル』(1990年)や未発表音源集『ザ・スカイ・イズ・クライング』(1991年)が発表された。1991年にはテキサス州知事により10月3日が「スティーヴィー・レイ・ヴォーン・デイ」に制定され、若手ミュージシャンを支援する奨学金制度が立ち上げられた。1992年にはフェンダー社より愛器「ナンバー・ワン」を基にしたシグネイチャーモデルが発売された。2015年には「スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル」としてロックの殿堂入りを果たした。

hiroko02227のレビュー・評価・感想

Stevie Ray Vaughan
10

年代問わずギターの魅力に痺れたいならこれ

1980年代に彗星の如く突如現れたStevie Ray Vaughan。
未だに恐るべき影響力を持つこのスーパーブルースロックギタープレイヤーは、現代の音楽にも衝撃を与えるほどの情熱的なプレイで、聴く者の心をわしづかみにします。
老若男女問わず、一度彼のギタープレイを聴いた人は、必ずと言っていいほど「自分もギタリストになりたい」と思うようになります。
ただの技巧派ではなく、心があるプレイ。
それまでになかった激しさ、繊細さを併せもち、その卓越したプレイは、あのエリック・クラプトンをもってして「私が16歳の頃になりたかったのは、まさにStevie Ray Vaughanだ」と言わしめるほど。
彼のプレイは、アルバート・キングやフレディ・キングなどの大御所ブルースマン達の影響下にもある中、ケニー・バレルやジョージ・ベンソンなどのジャズマン達からの影響もあり、ダイナミックかつ繊細なプレイも必聴。
また、かのエレキギターの革命児ジミ・ヘンドリックスのカバー曲「Little Wing」においては、あえてボーカルのないインストの曲としてカバー、その激しく情熱溢れるプレイは、彼をミュージシャンズミュージシャンに引き上げることに一役買ったのである。
1990年に惜しくもヘリコプター事故で他界してしまったが、もし存命であれば、さらにこの世界を震撼させる救世主的なアーティストになっていたことは、聴くもの誰もが認める真実というものであろう。