聴覚障害を持つヒロインと、彼女に関わる若者たちのこえのかたち。
漫画原作の聲の形をアニメ映画で見ました。
印象に残るのは、十人十色のキャラクターたちです。
こういったフィクションでは、キャラクターに長所と欠点があるものの欠点も魅力の一つ、とわかりやすくデフォルメされていることが多いのですが、若者も大人も登場人物の持つ欠点はいさかいの元となり、クローズアップされているため「これを見た多くの人はきっと登場人物の誰かを嫌いになる」と感じました。
硝子をいじめてしまったこと、それから自身がいじめられるようになったこと、硝子の補聴器をたくさん紛失・破壊してしまったことから、生活が裕福でない母に金銭的負担を大きくかけ続けてしまったこと、硝子に一度も謝罪できていないことで苦しみ、それらを償おうとバイトをし手話を学ぶ将也の姿は、「元いじめっ子の多くは罪の意識を持たず、忘れたり正当化したまま大人になる」という悪いイメージを持っていた私には衝撃的でした。
いじめを隠蔽したり、過剰に庇う行為、そしていじめという名で彼らの傷害や窃盗という犯罪行為の罪をなあなあにしてしまうことは、被害者はもちろん加害者であるいじめっ子にも更生や償いのチャンスを奪う行為に繋がるように思えます。
障害や人間の暗い部分を美化せずに描かれるこの作品を見るのに、大きな痛みを伴いましたが大切な痛みであると感じています。
将也と硝子、二人のキャラクターが物語の後も、互いが生きるのを手伝い幸せになれることを願います。