フルーツバスケットから学ぶ「信じる」ということ
フルーツバスケットは「花とゆめ」(白泉社)で連載されていた少女漫画です。その後2度のアニメ化をされた不朽の名作と言っていいほどの素晴らしい作品です。
主人公の透(本田透)は両親を失い一人テント暮らしをしていました。そんな透がひょんなことからクラスメイトの草摩雪の家で居候することになります。雪の親戚である草摩紫呉と草摩夾を加えた4人で暮らしていこうとなった矢先、透は草摩家の秘密を知ることになるのです。それは、異性に抱きつかれると十二支に変身してしまう呪いにかかっていること。雪は子(鼠)、紫呉は戌(犬)そして夾は十二支には含まれていない猫に変身します。そんな不思議な草摩家とそれに巻き込まれた透のお話です。
ここまでなら、どたばた恋愛コメディのように聞こえるかもしれませんが、そんなどたばた感とコメディ感はかなり序盤でなくなります。仄暗く、そして人の感情をむき出しにした作品になっています。草摩家には絶対的な権力を持つ当主である慊人という人物がいます。十二支にとって慊人は「神」であり、「決して離れることのできない存在」でもあります。自分の意思ではどうすることもできない『血』で繋がった存在なのです。そのため慊人は十二支たちに日頃からひどい言葉を浴びせ、自分の思い通りにならないと暴力で従わせる、かなり狂人的な人物です。しかしそんな慊人にも実は秘密があり、彼もその秘密に苦しんでいます。そのことがこの物語の大きなターニングポイントになっています。
フルーツバスケットがなぜ、仄暗く人の感情をむき出しにした物語なのかというと、主人公たち全員の悲しみ、怒り、憎しみ、恨みをとてもしっかりと描いているからです。例えば、夾は十二支には含まれていない猫に憑かれています。猫憑きは猫の姿とは別の「本当の姿」をもっています。それは大変おぞましく、この世のものとは思えないほど醜くい姿です。そのため他の十二支たちからは煙たがられ、将来的には死ぬまで幽閉される運命が待っています。そんなふうにひどい扱いをされ、自分ではどうすることもできない運命が待っていれば誰にも何も期待しなくなりますよね。夾も草摩の人を恨み、自分を生んだことを後悔して自殺した母親、自分を殺人者扱いする父親、当主の慊人に強い恨み、怒り、悲しみを持っています。そんな登場人物の心情がかなり細かく描かれています。
自分たちの運命に絶望する十二支たち、そして慊人自身も自分自身の秘密に苦しむ姿に正直読んでいて苦しくなります。しかしそんな十二支たちの希望の光となるのが主人公の透です。一見のほほんとしてどこか抜けてる彼女ですが、自分自身の呪いに苦しむ十二支たちを優しく包んでいきます。十二支に生まれたことで人を傷つけ、他の人とは違う家庭環境で育ち、草摩という呪いから逃れられず未来に希望の持てない彼らに「雪が溶けたら水になるのではなく、春になる」といって未来を信じることの大切さを教えていきます。彼女のセリフには、私達読者も勇気をもらい、ときに心揺さぶられます。透は十二支たちと関わる中で呪いを解こうと奮闘します。その中で彼女自身の、自分の中にある負の感情と戦いながら未来に希望を持とうとします。草摩家の呪いは解かれることになり、物語はクライマックスを迎えます。
フルーツバスケットのセリフの中でも印象的なのが、透が死んでしまった母親から言われた「透は信じてあげな」という言葉です。母親のお墓参りに行ったときに、透が雪に話した母親の思い出の一部分です。『欲望は誰でももっているけど、良心というのは一人ひとりの手作りのようなもの。だから、偽善と思われたり、誤解されたりする。でも透は信じてあげな、疑うことは誰にでもできる簡単なことだから。透は信じてあげられる子になりな、それがきっと誰かの力になる』。この言葉の通り、透はどんなにひどいことを言われようが十二支たちを信じていき、それが彼らにとって大きな力になります。
人を信じるということは簡単ではありません。普段からひどいことを言う人、約束を守れない人、いろんな人がいます。時にはそれに傷つき、もう信じたくないと思ってしまいます。それでも人を信じることは相手の力になり、自分自身を信じることに繋がります。信じていれば、必ず春はくる。フルーツバスケットは悲しみ、苦しみ、憎しみ、怒りを乗り越えて信じることの大切さを教えてくれる作品です。