涙がいつまでも止まらない
幼い頃親が撮ったと思われる8ミリカメラは語る。
兄は手を差し伸べる人だったのだ。人一倍弟思いだったのだ。
吊り橋をひとりで渡ろうとする弟の後を、高所恐怖症の兄は寄り添うように渡るのだった。
父親も、亡き母親も、兄弟も満面の笑みで、至福の時が永遠に続くと思っていたはずだ。
兄は、いつでも人に手を差し伸べる。いつでも人一倍他人に気を使う。
8ミリを見た20年後の弟は号泣する。自分の剥き出しのエゴが、すべて兄の犠牲の上に成り立っていたことを改めて認識して。
僕も涙が止まらなかった。自分の息子二人の兄弟関係を思い遣って。8ミリの情景が、昔彼らをよく連れて行った御岳に似ているのにぐっときて。
兄と弟と、ふたりの幼馴染の女性。ゆるやかな三角関係のはずだった。母親の法事で帰郷した弟。ほんの出来心から、兄のガソリン店で働く幼馴染の女性と一夜を共にしてしまう。兄が密かに彼女に思いを寄せていることを知りながら。そして、三人で行くことになる、兄弟の思い出の地、吊り橋のある渓谷。そこで起こる事故とも事件とも区別がつかない”ミステリー”。吊り橋で兄と女性が居合わせたことによる、人生のあまりにも哀しいいたずら。
監督の西川美和の感性に舌を巻く。吊り橋の上に人間の様々な感情を重ね合わせる。吊り橋だけでその人の背中にのしかかってくる人生を十二分に表現している。
孤独、絶望、衝動、嫉妬、確執、劣等感、諦観、すべてが吊り橋の揺れにまかせて踊っている。
人間の感情すべてを凝縮して、象徴のように揺れている吊り橋。そして、閉ざされた町で、”つまらない”人生を送るすべての長男の象徴のような、兄役の香川照之。そして、要領よく田舎を脱出し、世渡りが上手く女にもてもての次男の象徴のような、弟役のオダギリ・ジョー。だが、兄弟特有の心の琴線は、深いところで共有しあうふたり。
実生活では一人っ子同士のふたりの魂の演技。人間が誰しも持っているなけなしのプライドに抵触すると、途端に鬼気迫る表情に変貌する、香川照之も、兄弟の部分ではとても穏やかな表情になる。そのコントラストに、オダギリ・ジョーが過剰なまでに呼応する。
もてるとかもてないとか、かっこいいとか、かっこわるいとか、運がいいとか、わるいとか、世渡りが上手いとか下手だとか、世の中にはとかく冷たい比較論がつきまとう。でも、そんな世俗的なことを超えた世界も実在するのだ。とても身近な兄弟という関係の中にも。
そんなとても微妙な関係を演じきったふたりに、緩んだ涙腺がいつまでも止まるところを知らない。