映画「聲の形」
みなさんは声や音が普通に聞こえることが当たり前になっていると思います。ですが、みんながそうではありません。生まれつき耳が聞こえない、聞こえづらい人、何かの傷害で聞こえない、聞こえづらい人。様々な要因で声や音が普通の人と比べて聞き取れない人が存在します。
この映画では、音が聞こえる人生を生きる普通の人と、聞こえにくい人生を生きる障害者、2つの視点を交えた人生を描いています。内容について少し紹介致します。
ストーリー内容(※ネタばれ有り)
はじまりは小学生時代から。主人公(耳が聞こえる)はとてもいたずらっ子で、みんなやっていて楽しいし、面白い。そんな雰囲気に飲まれるタイプ。ある日、転校してきたヒロイン(耳が聞こえづらい)と出会います。クラスメイトは耳が聞こえづらいことを知り、はじめは仲良くみんなとコミュニケーションを取ります。ですが、他の子と同じように簡単には通じるものではありません。その為、「あの子普通じゃない」「なんか変なの」とよくいる小学生の考え方がクラス中に広まり出し、そしてそれがいじめへとエスカレート。
そのいじめの中に主人公も混じり、それが親や学校に知れ渡り問題となります。
「誰がやった?」と学校側は問いかけます。いじめをしたのは主人公だけでなく他のクラスメイトも一緒でした。ですが、「俺はやめておけと止めた」「ちょっとやりすぎだよと思った」などと、主人公だけがいじめをしたとクラスメイトは先生に言います。主人公は「俺だけじゃない」「他のやつもしただろ」と発言しますが、いつもの主人公の姿を周りは知っているから信用をしたり、かばったりなんてしませんでした。そしてヒロインはまた転校することに。ですがそれでいじめはおさまらず、今度は主人公をいじめの対象にクラスメイトはし、主人公をいじめていきます。
自分にとっての当たり前の形や、事の重大さをまだ把握できない年頃の考え方によりできたいじめ。
そしていじめがいかに酷く、苦しめるものなのか、そして障害者がどんなに辛い思いで生きてきているのかを実感していくストーリーです。
・おもしろさ…8/10
・感動…10/10
・見やすさ…5/10
・ファンタジー性…3/10
自分では当たり前だと思っていたことは、他は違うということ。いじめがどんな形であれいけないということ。それを実感した主人公達を描いています。いくら時が経っても未だに起こるいじめや差別。それがどれだけいけない事なのかを教えてくれる映画となっています。刺激的なシーンが所々あるので苦手な方に見せるのはよくないと思いますので、そこを承知の上で見るのをおすすめします。
教育面でもとても良い作品となっているのでぜひ、気になった方はご覧ください。