ポルノグラフィティ / Porno Graffitti

ポルノグラフィティ / Porno Graffitti

ポルノグラフィティは、岡野昭仁、新藤晴一からなる2人組のロックバンド。1994年に大阪で結成し、ストリートライブやイベントに精力的に出演し、数々の賞を受賞。1999年9月にリリースした『アポロ』でメジャーデビューを果たす。その後立て続けにヒット曲を連発し、2004年7月に発売したベストアルバムはオリコンチャート1.2位を独占した。
インディーズ時代から全楽曲の作詞を2人が手掛けている。強い郷土愛を持つことで知られており、活動を通じて因島や広島への愛を体現してきた。テレビやライブなどで岡野は広島弁でトークをしており、2人がファンである広島カープの話題も多く登場する。また、広島にまつわる楽曲も発表されている。因島市が合併でなくなる際には、「因島市を忘れないでほしい」と市内在住の学生や子供たちを無料で招待し、会場全体で合唱した『愛が呼ぶほうへ』は島内の学校の合唱曲に採用されるなど大切な一曲となっている。

りりまるのレビュー・評価・感想

ポルノグラフィティ / Porno Graffitti
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日本を代表するミュージシャン

日本を代表するミュージシャン、ポルノグラフィティ。「アポロ」や「サウダージ」をはじめとする人気曲が数多く存在します。ここではどうやってポルノグラフィティが結成され、どのような経歴を持っている人なのか、彼らをもっと深く知るために調べてみました。

・結成までの物語
ポルノグラフィティは2人で活動をしていますが、出会いは高校でした。最初からポルノグラフィティというバンド名ではなく、高校の時のグループ名は、NO SCOREという名前だったようです。高校生時代は、学校の文化祭で曲を披露して注目を集めていました。その後高校を卒業し、2人は1度離れてしまいますが、一緒にバンドをやりたいという思いで再結成をします。

・結成してから
ポルノグラフィティは、1994年が結成したタイミングなのですが、当初からうまくいっていたわけではありませんでした。また、最初から2人体制だったわけではなく、メンバーの脱退であったり、納得いく曲が作れなかったり、紆余曲折がありました。ですが、曲を作ってライブを繰り返すうちに手ごたえがあり、1999年、「アポロ」でついにメジャーデビューを果たします。翌2000年には「ミュージック・アワー」、「サウダージ」、「サボテン」を立て続けにリリースし、ヒット曲を連発しました。

ここからはメンバーについて紹介します。
まずはポルノグラフィティのボーカル、岡野昭仁。1974年10月15日生まれで、小学生時代はサッカーなどをするスポーツ少年だったようです。姉の影響で音楽に興味を持ち始め、高校で新藤晴一と出会ったことからすべてが始まりました。音楽以外も多趣味で、フィッシングをしたり、漫画を読んだりして曲へのインスピレーションを高めています。自宅に約3,000冊の漫画を所有しているとの噂もあります。

次に紹介するのはポルノグラフィティのギター、新藤晴一です。1974年9月20日生まれで、もともとはボーカル志望だったようなのですが、岡野のほうが歌うのが上手ということで、ギターをやっているとか。音楽以外も、野球や絵を描くこと、麻雀、サーフィン、ゴルフなどなど、新藤も多趣味。こちらも自分の趣味から音楽へつなげています。