この漫画はグルメ漫画のはずなんだがちょいちょい汚いものが出がち...第178話「オートミールはそそらない」
主人公の鬱野たけし(30代フード配達員)は、安売りセールで買ったオートミールの賞味期限が近付いているのものの、すぐには食べずに満開の桜を見に散歩に行きます。川に浮かぶ散った桜を見ながら鬱野は、「抜け落ちた髪の毛はゴミになるのに、桜は散っても美しい。その判断基準は何なんだろう」と考えます。
書き手の推測では、桜と髪の毛への極端な考え方の違いは、過去に見た、感じた記憶からくるものではないでしょうか。桜は色合いが美しいうえに、春が近づくと桜の香りのシャンプーや、桜の味わいのドリンクが販売されて、桜は美しく味覚と嗅覚に心地よいものだと印象付けられます。学生時代の入学式と卒業式、加えて大勢の人々が飲食を楽しむお花見といった、素敵な思い出とともにあるものとも言えるので、散っても美しいと感じられます。
一方で髪の毛は、お手入れを念入れに行っていれば美しいものです。しかし、髪の毛は掃除をしていると必ず埃と共に落ちているもの=ゴミと同じだと認識する人もいるでしょう。または日本のホラー映画や幽霊画で、幽霊は黒くて長い髪だと姿が決まっているものが多かったり、髪の毛が排水溝に大量につまっているゾッとする演出に使われることから、恐怖や汚れの対象と感じている人もいると思われます。
こういったそれぞれのものに関する記憶と頻繁に見かける表現で固定されたイメージによって、桜と髪の毛は同じ散るものであり、やがては処理されてなくなるものであっても、互いの印象は正反対になるのではと考えられます。その双方の違いが頭にあるので、鬱野は桜を見ている際に髪の毛と比較をしたのでしょう。
帰宅した鬱野は、オートミールを電子レンジで温めて味付けは無しで食べてみます。鬱野は無の味を感じて、あえて無を楽しむことにしました。オートミールはダイエットの味方となる健康食品ですが、単品だと味がそっけない感じがします。なのでアレンジレシピなど試行錯誤を練って食べる習慣をつけるものと思われています。しかし、鬱野のように無を楽しむ新しい味わい方もアリだと視野が広がりました。