大失敗の宇宙計画を奇跡の生還ドラマとして、皮肉を効かせて描いた作品
この映画「アポロ13」は、大失敗の宇宙計画を奇跡の生還ドラマとして、皮肉を効かせて描いた作品だと思います。
ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリンの二人の宇宙飛行士が、月面着陸に成功し、人類が歴史上初めて月に立ったのが1969年7月。
歴史に名を残す、"アポロ11号"ですね。
その4カ月後の11月にはアポロ12号が、2回目の月面着陸に成功。
3回目は、1971年の2月で、これがアポロ14号。
その年の7月には、アポロ15号が着陸。翌1972年4月に16号。
そして、その年の12月に17号が着陸を成功させたところで、このジョン・F・ケネディ大統領が始めた"アポロ計画"は、打ち止めになりましたが、約3年半の間に合計6回の"人類が月に立つ"という偉業を成し遂げ、まさに"月旅行ラッシュの時代"だったのです。
アポロ13号はこの間にあって、唯一、月面着陸が出来なかった宇宙船です。
しかし、月面着陸出来なかった"月旅行マンネリズム"を打ち砕き、その後の劇的な大騒動を生む事になります。
俳優出身のロン・ハワード監督の大作「アポロ13」は、そのような状況を皮肉をたっぷり効かせて描いている映画ですね。
そして、また、このような状況の映画の先駆けとなった、「宇宙からの脱出」(ジョン・スタージェス監督)へのオマージュを捧げた映画にもなっていると思います。
ジム・ラヴェル船長(トム・ハンクス)以下、ケン・マッティングリー(ゲーリー・シニーズ)、フレッド・ヘイズ(ビル・パクストン)の三人が乗り組む予定だったアポロ13号は、打ち上げ直前になって、ケン・マッティングリーが風疹にかかる恐れがある事が判明し、メンバーから外され、代わりにジャック・スワイガート(ケヴィン・ベーコン)が乗り組む事になります。
これが、この映画のその後を予感させる、最初の不穏な幕開きとなります。
打ち上げ時刻は4月11日13時13分--------。
この縁起の悪い数字の重なりも不気味なものを感じさせましたが、果たして予感した通り、13日になって酸素タンクが爆発、月面着陸どころか地球への帰還も危ぶまれるという最悪の状況に追い込まれます。
しかし、NASAのスタッフは、主席管制官のジーン・クランツ(エド・ハリス)以下、総力を結集して無事、宇宙船を地球へ帰還させる事に成功します。
この宇宙船を地球へ帰還させるあたりの経過が、なかなかどうして大がかりでダイナミックに描かれているので、非常に映画的緊張感を伴って、見応えがあります。
ただし、宇宙船の内部とヒューストン管制センターという映像としての画面が地味なため、盛り上がりに欠けるし、宇宙船内の空気が刻々と濁って来るという"閉塞状況のサスペンス"も、よくある潜水艦座礁映画でおなじみのもので、あまりインパクトが感じられませんでした。
やはり、ドキユメントとしての迫真性や緊迫感というものは、ジム・ラヴェル船長が書いた原作の「アポロ13」(新潮文庫)の本物の迫力の前では色褪せてしまいます。
ただし、原作よりも唯一、勝っている点として、マスコミの狂騒ぶりを描いたところで、これは映画ならではの面白さに満ちていたと思います。
月面着陸では、もはや視聴率が獲れないという事で、テレビ中継もなかったのに、事故が発生して宇宙飛行士の生命が危機に瀕するや、テレビ放送でのバカ騒ぎともいえる報道が繰り返されます。
大失敗の宇宙飛行計画が、"奇跡の生還ドラマ"に変じてしまうのだから、考えてみればおかしな話です。
1972年12月のアポロ17号の月面着陸成功の後、人類は月へは行っていません。
「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)のような月面の基地も、宇宙ステーションも建設されていません。
テクノロジーの進歩という事を声高に標榜していましたが、それは結局、軍拡と本質は同じもので、当時の冷戦下のソ連との政治的な競争意識がもたらしたものだったろうと思われます。
ロン・ハワード監督は、そのあたりの微妙なニュアンスを皮肉をたっぷりと効かせて描いていたように思います。
なお、この映画は1995年度の第68回アカデミー賞の最優秀音響賞と最優秀編集賞を受賞し、同年の英国アカデミー賞の特殊視覚効果賞、プロダクションデザイン賞を受賞していますね。